デジタルお絵かき、あるいは彫り師

 

 

デジタルお絵かきもしています。

 

といっても、最初は紙にインクで絵を描き、それをスキャンしてパソコンにとりこみ、ペンタブレットで加工しているのです。

老眼のせいで細かい線を描くとひどい偏頭痛に悩まされるようになっちゃったから。(; ;)

 

いまのイラストレーターの多くは、最初からタブレットに描くそうですね。

つまり、紙の絵は存在しないらしい。

それはそれで凄い。

 

私は、どっちつかずというか、アナログとデジタルの中間です。

 

紙とペンの出会いの痕跡を大切にしつつ、線の細部を整えます。

紙から離れることで、気づくこともいっぱいある。

使う道具は電子のペンとタブレットだけれど、カリカリカリと、線を削ったり足したりしていくのは、まぎれもなく工芸的な感覚。

 

なんかね、彫刻刀でサクサクと版木を削っていくのに似ているのですよ。

木のささくれや木目を気にしつつ、ところによってはペーパーをかけてバリをとるような。

 

そして思いました。

ああ、たしかにこれは版画の版木づくりに似ていると。

 

ほかの色を重ねることを想定した輪郭彫り。

描線の勢いは減じるけれど、別のリズムに整え直すことで強さをさぐるようなところも。

 

江戸時代の浮世絵は、絵師+彫り師+摺師の共同制作でした。

北斎や国芳は、紙に筆で墨一色の絵を描くと、その絵をぺらりと彫り師にわたして版木に刻んでもらったのですよ。

 

…え、そうだったの!?

うーん、絵師、ちょっとずるくないかぁ?…と思ったのは私だけ? 

 

まあ、ずるいかどうかはべつにして、今のわたしは彫り師です。

わたしの場合、絵師に叱られることもないので、気に入らない部分はどんどん修正しちゃうんですけどね。

 

電子の彫り師。

猫の手を借りて、がんばります。

 

 

 

 

 

 

アナログお絵かき

 

机をふたつならべて、ちがう絵を描いています。

いつもの机ではPCのフォトショップで、デジタルお絵かき。

もういっぽうでは、小さな紙に絵の具と筆で、水をちゃぽちゃぽさせてアナログお絵かき。

 

絵を描く悦びって「素材抵抗」かも。

うぉ、紙が凸凹してるとか、あちゃ、絵具が滲んじゃったよ、みたいな。

そのひとつひとつに、いいねこれ、とか、やだやだ困るっ!を繰り返して、その都度あわててハンドルを切るような。

いってみれば、ささやかな事故の連続なわけだけれど、この予期せぬ出会いが新鮮。

予想どおりであれば、しめしめの鼻歌まじりで進み、予想以上だと嬉しくて、もっと先を見たくなる。

どこへ行き着こうが、いえ、どこにも行き着かなくてもかまわない長距離ドライブの旅。

 

そのむかし、荻原規子さんに「絵を描いていて嬉しいのはどんなとき?」と訊ねられました。

私は、そうねえと、しばらく考えて、こたえました。

「まず水彩で好きなのは、紙の匂い。その紙を水張りして、しっとりと水気をふくんだ紙に筆をおいたときに、にじんで広がる色を見るときが、ほんとうに好き」

すると荻原さんは、優しい声で「やっぱり即物的なのね」とのたまい、二、三度ゆっくりとうなずいたのであります。

 

そ、即物的、かよ…。

 

永遠の憧れである古典文学少女に言われると、なんだか一挙に、汗臭い運動部員男子に変身してしまったようで…。

あら動物的なのねとか、やっぱりお勉強はできないのねと言われたような、そういわれても反論できないような。返す言葉がみつからなくてモゴモゴしてしまったのでした。苦笑。

 

でもその後、なんども思い返します。

あなたのいうとおり、たしかに絵を描く楽しさは、即物的ですよ、荻原さん。

そうして今も、じぶんの体と心が、不器用に外の世界と擦れあう痕跡をみつめています。

 

 

 

しかしながら。

とりあえずこれは、千葉県柏市の子どもの本の店ハックルベリーブックスの「ふくろう展2020」に出品する額絵なのです。

 

個人書店の経営が厳しいことを百も承知で、お店を開いたのが今からちょうど十年前。

店主の奥山恵さんは胸に静かな炎をいだく闘士で、子どもの本を軸に、さまざまな地域文化の活動を行ってきました。

そのお祝いとなる展示会です。

 

なぜ「ふくろう」かと言えば。

ハックルベリーブックスの看板娘(息子?)が、ふくろうのフーちゃん(10歳)だから!

(クールで知的な奥山さんは、フーちゃんの話になると、とたんにクシャクシャッとただの親ばかさんになる…笑)

 

 

コロナ対策を徹底しての開催のようです。

お近くの方は、どうぞおでかけください。

 

詳しくは、ハックルベリーブックスのHPをどうぞ。

 

http://www.huckleberrybooks.jp

 

 

たぶん、この絵も出品します。

小さな額絵ですけど、虹空に浮かぶ はにかみ天使です。

 

 

 

 

まるで手術台

 

連日、猛暑です。

前回「雨がやみますように」と願ったとたんに梅雨があけて、容赦のないカンカン照り。

願いが強すぎたか?

 

近年、天候の振れ幅が大きくて、なんだか乱暴ですよね。

ほどほどの優しさに天の恩寵を感じる日が少ない。

それはやはり人間が自然にたいしてずっと乱暴だったからかも。

 

 

さて。

降っても照っても、あいかわらず部屋にこもって机にむかっています。

遅れています。まずいです。

 

絵本や挿絵の原画は、ほんの少し大きめに描くことが多いのだけど、わたしは原寸が好き。

しかし老眼がすすみ、もう限界かも…。

いやでもやっぱり、印刷されるとおりの大きさで描きたい…。

と悩んだあげく、こうなりました。

左右からアームがのびて、まるで工事現場か手術台みたいでしょう。

 

右の白い円盤は、LEDライト。

かゆいところに光がとどくすぐれもの。

そして左の円盤が、今回登場した拡大鏡。

ようするに、大きな虫眼鏡です。

家族から借りてきたものだけど、すご〜い。

そうよそうよ、こういうふうに、しっかりくっきり見たかったの。と感激しきり。

 

年齢を重ねると、じぶんが欲しい物について迷わなくなります。

たべもの、洋服えらび、見たい映画。

即断できるし、勘があたる確率も高い。

作品づくりについても、そう。

どういう世界がほしいかが、かなりはっきり見える。

(まあね。頑固になって、ちがうものを受け入れられなくなることの肯定的表現かもだけど)

 

しかしながら、そこに障壁としてたちはだかるのが、身体的な衰え…。

 

こういう線が描きたい、ここにこの色がほしいと、具体的にみえているのに、目が、肩が、背骨が邪魔をするのであります。泣。

かくして、さまざまな器具に手が伸びるわけですな。

 

この巨大虫眼鏡もね、いいんだけど、ちょっとでもずれると、視界がうわんうわんと揺れてきもち悪くなるんですのよ…。

だから毎日、車酔い。

写真の左端にチラ見えているのは、目を温めるための小豆カイロと、鎮痛剤。

ふう…。

 

すべての条件が理想的に整う年齢も、季節も、もしかしたら瞬間さえも、きっとない。

いつだって「ああ、これさえ○○だったら〜」とぼやきながら、すこしずつ時を重ねていくものなのでしょう。

 

 

 

 

 

雨のやまない王国。そして空のボタン

 

 

  あるところに、1年じゅう、朝も昼も夜も、雨のやまない王国がありました。

  その国の人たちは、空色というのは灰色のことだとおもっていましたし、

  また星空というものをみたことはなく、  

  もやもやとけむる、にぶい藍色しかしりません。

 

  お天気の話をするときは、

  「きょうは、まろやかな雨ですね」とか

  「今夜は、とんがった雨ですね」

  とかいうぐあいでした。

 

  

『小さな王さまと かっこわるい竜』は、いまから10年前にかいたお話です。

まいにち雨ばかりなので、おもいだして本棚からひっぱりだしてきました。

 

この王国では、お城にある天蓋付き寝台も、傘のかたちをしています。

 

 

この国の人たちは、雨のくらしにうまくなじんでいましたが、ある大雨の日に、

人びととともに堤防を直していた王さまが川に流されてしまいます。

みんなは悲しみ、慰めあいます。

「あの世は、いずれ、だれもがいくところ。

あまりかなしんで心をつぶしてはいけない」

 

そこで、まだ子どもだった王子が王位をついで、小さな王様になりました。

この国では、王位についたお祝いに、人びとに贈り物をするのがならわしです。

さて、なにを贈ればよいものか。

 

このとき、お母さまが良いことを教えてくれました。

「海のむこうには、雨のふらない国もあるそうよ。

そういう国では、空にボタンのような、つめものがしてあるのですって。

昼も夜も、金や銀にかがやいて、それはそれは、きれいなものだそうよ」

 

小さな王さまは、空のボタンをさがして旅にでます。

 

 

大嵐の末にたどりついた「へそ島」は、はたして雨がふっていませんでした。

空が青いなんて、びっくりです。

そしてその空のまんなかに、みつめることさえできないほど明るくかがやく白銀のボタンがありました。

 

けれどもちろん、この「空のボタン」は容易にはとれません。

四苦八苦するうちに、小さな王さまは、へそ島にある火山の火口から、奥へ奥へとおちてしまうのです。

 

 

どこまでもどこまでも落ちていって、ようやくたどりついたのは地の底。

やわらかく細かい灰の砂地は、うっとりするほど暖かく乾いていて、

どっくん、どっくんと、脈打つ音がきこえていました。

 

そこで小さな王さまが出会ったのは、大雨で川に流されたはずの亡き父王。

ただし、ずいぶん年若い子どもの姿をしています。

その横には、さらに幼い子どもがいて、それはなんと、おじいさま王らしい。

その背中にくくりつけられている赤ん坊は、なんとまあ、ひいおじいさま王なのだとか。

 

それなら、ひいひいおじいさま王は、どうなったのか…と、たずねる小さな王さまに、父王は、さらりと答えます。

「ひいひいおじいさま王は、すべてのお役目をおえて、空気のつぶになられた。

はて、いまごろは、どこを飛んでおいでかなあ」

 

 

この妙ちきりんなご先祖様の力をかりて、いえ、ほんとうは、かれ自身がもっていた底力によって、小さな王さまは空の大天井の雨漏りをとめます。

金剛石、瑠璃、瑪瑙、紅玉や碧玉などの宝石を、雨漏りのすきまに埋め込んで。

それが、空のボタン。

満天の星空です。

 

 

 

わたしは雨がすきです。

きもちが内へと流れ、日頃忘れていた人たちや遠く深い物事を、ひたひたと思い出すので。

 

けれど、この雨のために難儀をしいられている人が今年はとても多い。

そろそろだれかが、空の雨漏りをとめてくれないかなあと、おもうのです。

 

きょうりゅうたちの識字教育

 

パワフルな子どもたちを、きょうりゅうとして描く絵本「きょうりゅうたち」シリーズ。

ただいま翻訳中の8冊目は、文字を読むお勉強です。

 

原題は「いかにして きょうりゅうたちは 読むことを学ぶのであろうか?」

まじめでしょう。ええ、まじめですとも。

ハチャメチャに見えるこのシリーズの正体は、しつけ絵本ですからね。

 

でも、なにせ、きょうりゅうですから、一筋縄ではいきません。

 

バットのように本をふりまわしていれば、いつか読めるようになるんじゃないかと勘違いしたり、本を奥歯で噛みしめてみたり、かんしゃくを起こして、巨体でバキバキふんづけちゃったりと、いろいろやってくれます。

 

わたしのお気に入りは、船の本を、お風呂のお湯にうかべる きょうりゅうちゃん。

え、船のくせに沈んじゃうの…という表情が、たまらん。

 

 

こうした混乱ぶりは世界共通でしょうが、どうやら英語と日本語では、文字を学ぶ子どもたちの事情が若干異なるようです。

 

日本語で覚えるべき平仮名は48文字。カタカナも48文字。漢字は無限…。

いっぽう、アルファベットは26文字だけ。

これだけみると、英語圏の子どものほうが簡単に字を覚えられそう。

 

でも、平仮名の「あ」の発音はひとつだけですよね。

か、さ、り、め、き…など、どの単語でも、「あ」は「あ」。

平仮名48文字をおぼえれば、すべて正しく発音できるし、絵本の音読も可能です。

 

それに対して、英語のA(a)は、ほかの文字とくっつくと、音が変わってしまうのです。

 

apple,  ball,  bad,  eat,  cat,  cake,  boat,  bread...

どれも簡単な単語ですが、A(a)をエイと読めたからといって、発音できません。

本の音読は、かなり難しいのです。

 

そこで英語圏の大人たちは、子どもに せっせと本を音読してきかせます。

子どもたちにも、声にだして読むことを奨励します。

すると、あらふしぎ、そのうちにいつのまにか、英語ならではの文字と発音のつながりが、なんとな〜く体得できてしまうではありませんか。

 

…とまあ。

そんな事情を背景につくられた本なので、巻末に、きょうりゅうに絡めたお勉強付録がついています。

 

Dは、小さい文字だと d になるよ。

dog の dだね。dinosaursの dでもあるし、doneの dでもあるよ。

 

Cは、小さい文字だと c になるよ。

cat の cだね。chat も cだけど、発音は変わるよ…みたいに。

 

 

もちろん、これは翻訳不可能です。

でも割愛するだけじゃ悔しいので、原書の版元から了承を得たうえで、日本語版オリジナルおまけを作成しました。

 

日本の子どもたちの多くが平仮名の次に学ぶであろう、カタカナに挑戦。

きょうりゅうの名前でカタカナを覚えちゃおうぜ〜! という趣向です。

 

 

どうです、名案でしょう。ふっふっふ。

カタカナを覚えると同時に、マニアックな恐竜の名前も覚えられます。

お得ですよ、ひっひっひ。

(ここまでマニアックな恐竜の名前を覚えることがどのようにお得かについては、さておく)

 

というわけで。

すでに日本で出版されている七冊を並べて、カタカナ表に使うきょうりゅうを選別。

けっこう大変でしたぁ…↓

 

 

しかしながら。

すべての文字に、どんぴしゃ都合の良い名前はみつからなかったのです…。

 

欲しい文字が中のほうで使われている名前で妥協もしました。

それどころか、どうしてもみつからなくて、苦肉の策…、いえ、西塔香絵編集者の力作で、しのいだ箇所もあります。

 

 

くすくす笑って楽しみながら、カタカナも覚えちゃってくださいね。

 

 

2174と2062、でいきます

 

職人工程そのイチ。

腕っこきの仲間をひっぱってくる。

 

……。

のっけから他力本願で、すみません…。

でも、本は個人の力では作れないものです。

 

編集者とのやりとりのうちに、そこでしかない化学反応がおこり、本のモトがうまれる。

デザイナーの助力で、具体的なかたちに魔法の粉がかかる。

印刷や製本の工人たちの手で、まごうかたなき現実のものとして、誕生する。

 

その過程がわたしには、とてもたのしいものです。

 

そのむかし、artisan という言葉をしったとき、まじまじとその文字をみつめました。

アルチザン。

artist(芸術家)にたいして、創造的精神が乏しい物作りという、おとしめる意味でつかわれることも多い用語だそうです。

とりあえず技術は優れている職人、だとか。

 

でも、芸術って精神だけでできるものではありません。

音楽にしろ、絵画にしろ、浮世絵や、彫刻や、舞台や、建築はもちろん、本にしたって、この世の事物と分かちがたく結びついて存在することで、誰かの心をふるわせるもの。

 

だったら、まずは手元の素材を丁寧につみあげていく artisanになろう。

それが芸術かどうかなんて、ひとまず、どうだっていい。

若き日のわたしはそう思いました。

 

そうしたら、身の回りにある数え切れないほどの美しいものに気づきました。

名前をのこさない誰かが、ひとしれず精魂をこめて残していってくれた、たくさんの美しいものに。

 

そして肩の力がぬけて、楽にもなりました。

いろんな人の力をかりて、ちょっとずつ、そういうものを目指せばよいと気づいたから。

 

 

 

というわけで。

とりとめのない雲のようなものを割り箸に巻きつけていく、綿あめ製造作業

協力デザイナーの決定です。

お願いしたのは、森枝雄司さん。

 

内容が合うと思ったからですが、もうひとつの理由は、テーマカラーが青だから。

じつは森枝さんは、業界内でひそかに「青のモリエダ」の異名をとる装丁家。

 

ラフをみせてイメージを伝え、色を決めてもらいました。

だって、青のインクは山のようにあるのですよ。

そして印刷すると、いろいろ変化しちゃうのですよ。

薄めるとあーなって、濃くするとこーなって、混色するとこんな雰囲気になる青を選んでくださいねという、わがままいっぱいの要望から推奨されたのが、DIC2174。

それにお供のレモンイエロー、DIC2062を合わせます。


ふふふ。

きれいな色鉛筆を買ってもらった子どもの気分。

まずは、コツコツと下絵を描かなくちゃ。







わたあめ製造機

 

 

わたあめを作ったことはありますか?

 

子どものころ、うちに小さな わたあめ製造機がありました。

ザラメを一匙投入して、スイッチオン。

やがて白い雲のようなものがふわふわと出てきます。

それを割り箸でからめながら、くるくるまいて、わたあめにするのです。

 

うちになぜ、そんな機械があったのか。

母にたずねてみても、「さあねえ。お祭りの景品かしら、誰かにもらったのかしら」。

亡くなった父は甘党だったから、わたしと妹を喜ばせようと買って抱えてきたのかも。

けれどもちろん、日常的にわたあめを作ったわけでもなく「何回か使って、畳屋さんの坊やにあげちゃった」のだそうです。

 

わたしは物語をつくるときに、しばしば、この わたあめ作りを思い出します。

 

物語の「もと」は、ザラメ。

茶色っぽくて、いろんな雑味があるザラメ。

これがなければ始まらないのだけど、姿をかえて、ほわほわと白い蒸気のようにわいてくるものは、なんとも儚く、たよりない。

夢か幻のようで、ほとんど気体にしかみえない。

 

でも、割り箸で注意深く ひとつところに巻きつけていくと、そのうちに固体になる。

指でさわれて、ぺろりと舐めて、はむっと口にできるものになる。

 

ひとしきり、子どもの笑顔を誘うことはできる。

ごはんほど、大切ではないけれど。

甘さに飽きて、じきに、ぽいと捨てられるけど。

それでも、ふとした拍子に、もしかしたら何十年か後にも、ぼんやり懐かしく思い出してもらえるかもしれない。

 

…そんなところまで。

 

 

 

線画と短い文章で織りなす、すこし長めの物語絵本。

こんどは、男の子を主人公にしてつくっています。

 

最初にザラメを投入してから、なんともう一年が過ぎていました。

珍しいことではありません。

ザラメを替えたり、機械のつまりを修理したり、停電したり…の時間が長かったのです。

 

ようやく、ふわふわの白く甘い雲の糸が順調にわいてでてきて、割り箸でくるくる巻いていく段階になりました。

 

あとは職人仕事です。

 

 

 

 

てのひらで つたえる

 

 

"Three Squeezes"というタイトルの絵本を翻訳しています。

 

 まだ あるけない

 ことばも わからない

 それでも きみの いのちは かがやいている

 

赤ちゃんの小さな手を、大きな大人の手が、そっと触れています。

よろしくね、というように。

男の子と、おとうさんです。

 

 

すこし大きくなった男の子は夜中にめざめ、こわい夢でもみたのか、おびえて泣きます。

すると父親は、

 

 あかりを つけて だきあげて

 きみの せなかを 

 とん とん とん とん

 きみが また すやすや ねむるまで

 

温かな手のひらで、ゆっくり、とん  とん…とたたかれると安心するのは、なぜでしょう。

じぶんとはべつの大きな心臓の鼓動のように感じるから。

その存在が、すぐそばで守ってくれるとわかるから。

 

男の子は少年になり、高いところから飛び降りて怪我をしたり、野球の試合で失敗したり、アイスクリームを落としちゃったり…と、いろいろやらかします。

その都度、父は、さりげなく手を添えて励ますのです。

きっと、言葉数は多くなかったことでしょう。

 

生意気ざかりの思春期を迎えた息子と父は、鋭い言葉の応酬で互いを傷つけもします。

 

 それでも きみか わたしの どちらかが

 せなかに そっと 手をおけば

 きずは いつしか いえていた

 

言葉ではなく、てのひらのほうが雄弁なこともあるものです。

 

 きみの よろこびと かなしみに

 てのひらを そえて みまもったことが

 いったい なんど あっただろう

 

そうして、男の子は家を巣立っていきます。

父は、その姿を祝福し、成長した息子への信頼を呟きます。

 

 やがて きみにも 

 まもるべきものが できるだろう

 そのとき きみは もう しっているはずだ

 きみの てのひらの ゆたかさを

 

ふむ。

ほんとうに子育て完了ですね。

けれども、この絵本は (そして人生も)、ここで終わりではありません。

最後の もうひと捻りに、意表をつかれました。

 

終盤の夕焼け色の画面は、冒頭の朝陽と対をなして、しずかに輪をとじます。

言葉にならない余韻をのこして。

 

 

 

***

 

…とまあ。

なかなか良い作品なのですが。

いやあ、苦労しました。

 

なぜって、原題が "Three Squeezes"なのですよ。

そういわれて、ピンとくる方はいますか?

 

直訳すると「三回ギュギュギュ」。

スクイズは野球用語でもありますが、レモンやオレンジなどを絞る動作。

すなわち片手で、あいての手や腕、肩などを、ギュ、ギュ、ギュと三回つかむこと。

その意味するところは、「愛してる」「きみのことを気にかけてる」「私はここにいるよ」など。

 

おそらく北米特有のボディランゲージです。

しかもアメリカ人のなかでも「うちでは、おじいちゃんの代から、家族間の合図だったよ」という人もいれば「なにそれ、全然しらない」という人もあり。

ネットの○○小町みたいな欄に「きのう彼氏に、三回ギュギュギュってされたんですけど、どういう意味でしょうか?」と投稿が掲載されて、答える人の意見もいろいろだったり…。

 

絵本の著者、ジェイソン・プラットさんの家族は、ギュギュギュ派だったわけですね。

なるほど………。

と、深く納得したものの。

さて、これを日本語にしなくちゃならない私は、どうしたらよいのか?

 

翻訳には、ふたつの柱があります。

ひとつは、言葉や文化が違っても共通する思いや感情に寄り添うこと。

もうひとつは、言葉や文化の違いから生じる新鮮な気づきに光をあてること。

このふたつの支柱をうまく撚り合わせることで、共感と新鮮な驚きが混じりあい、翻訳文学特有の魅力がうまれます。

 

でも今回は、新鮮な異文化習慣である「ギュギュギュ」を前面にだすことは諦めました。

プラットさん、ごめんなさい。

身体接触の距離感や親愛の情を示す動作がアメリカと日本で異なるのは当然ですが、手の骨格や厚みのちがいなのか、はたまた、日本には手の所作の文化がしっかりと根づいているからなのか、あれこれ試みても違和感が粒立って作品を壊してしまうのです。

しかたなく、ぎりぎり歩み寄れる表現をさがす方向に転換しました。

でもきっと、あなたが伝えようとしたことは、日本語にできたと思います。

 

翻訳の仕事のかなりの時間は、目の前にたちはだかる「不可能」の壁をにらんで、むぅむぅと唸ることに費やされるように思います。

翻訳者は、あきらめずに抜け道をさぐり、握力をきたえ、鈎縄をみがき、あるいは煙幕を工夫するなど、ボルダリング忍法に精進あるのみ…。

 

 

 

「ちいさなあなたへ」のことを書きました。

 

東洋経済オンラインに「ちいさなあなたへ」のことを書きました。

あしたは、母の日ですし。

 

けれども私としては、いつか多くのみなさんに届くかたちで書いておきたいとおもっていたことがあって引き受けた原稿です。

どうぞ読んでください。

https://toyokeizai.net/articles/-/349226

 

…とはいうものの。

それだけじゃ愛想がないですよね。

 

著者のアリスン・マギーから届いたメッセージを転載しておきましょうか。

 

「世界中が新型コロナウイルスに覆われてしまった今年の母の日に公開される記事です。

さまざまな困難や不安とともに生きる母子、これまで以上に生きにくくなってしまった人々への言葉を」とのリクエストに対して届いたものです。

 

いうまでもなく、アメリカの状況は、いまの日本よりも厳しい。

言葉のはしばしから彼女の苦悩がつたわってきて、翻訳をするときにも心が軋みました。

 

***

 

Someday 

 

地球を覆いつくすパンデミックのさなか、家の中で身を寄せあっている子どもと親たち、祖父母たちの姿を、わたしは思いうかべます。なかには、じゅうぶんな食べ物や安心できる住まいをもたない人たちもいるかもしれません。

もしあなたが今とても苦しかったなら、あえて視界を狭めて「その日のことだけ」「片足を一歩前に動かすことだけ」を考えてください。

そしてまた、視界をぐっとひろげて、はるか遠くのことを考えると、息がつけるようになるのも、ほんとうです。

わたしはよく、わたしの人生よりもずっと先の未来のことを考えます。

いつの日か、この美しい星に今以上に思いやりに満ちた社会がひろがって、わたしたちの子どもたちは、より良い世界を生きられるかもしれない。その大きな希望が、わたしの心の混乱を整えてくれるのです。

 

個人より公共の利益を重んじる美徳をもつ日本のみなさんへ、敬意とともに。

 

ハッピー・マザーズデイ。

 

                            アリスン・マギー

 

 

おたすけこびとと おべんとう 初校がでました

 

ひさびさに電車にのって都心にでかけ、おたすけ会議をしてきました。

オフィスは、がら空き。編集部は、除菌シート完備。

 

不要不急ではなく、必要火急の作業です。

持ち出し厳禁の原画と、初校(初回の校正紙)を照らし合わせて吟味したうえ、早急に印刷所に戻さなくてはならないので。

 

印刷につかうインキは基本的に、シアン(青)、マゼンタ(赤)、イエロー(黃)、ブラック(黒)の4色だけです。

この4色のかけ合わせで、ほとんどの色が再現できるのは驚きですが、やはり原画の絵の具の色どおりにはいきません。どうがんばっても、印刷ではだせない色もあるのです。

そこで妥協できるところと、もうちょっとがんばってほしいところ、どういう色に近づけてほしいかなどを、校正紙に細かく書き込んでいきます。

 

 

とはいえ、4色のインキを何%増減したらよいかということは、私達にはわかりません。

「原画に近づけてください」「濁りをとってください」「黒を強めに」「もっと美味しそうな黄色に」などの注文をつけるのが精一杯。

この注文を数値化してくれるのが、プリンティングディレクターという人たちです。

デジタル能力はもちろんのこと、絵心を備えたプリンティグディレクターの協力を得られるか否かで、絵本の出来栄えは、ぐんと変わってきます。

 

 

色の調整に加えて。

おたすけこびとの絵は、とてもとても、と、て、も、細かい…。

おたすけチームは家内制手工業体制でこびとの検品に努力しましたが、それでもやっぱり、取りこぼしがあるのです…(泣)。

 

たとえば、この窓の奥にちょこっと見えるこびと。

ヘルメットが塗られていないことに、いままで気がつきませんでした…。(縦横2ミリ)

あぁあ、四人で何度も見たのになぁ…。

 

 

そして、トラックを運転するこびとの手も、塗り忘れです…。(直径1ミリ)

 

 

こんなのもありました。

バスドラムのスティックの先端に白いマレットがついていたり、なかったり。(直径0.8ミリ)

 

  

 

ロードローラーの給油口を描き忘れたことに気づいたコヨセさんは、頭を抱えました…。

 

  

 

べつにいいじゃ〜ん、それくら〜い。

…と、つぶやきたくなるような小さなことばかり。

でも「だめだめ。子どもは気がつきますよ。くりかえし、くりかえし何度も読むんだから」

「そう。こういう綻びがあると、がっかりするんだよね」と、かわりばんこに頷いて、微塵も妥協をゆるさぬ おたすけチーム!

 

とはいえ、こんなチマチマとした修正希望箇所を山のように積みあげちゃって、どうするのかといえば…。

 

フッフッフッ。

おたすけチーム御用達のプリンティングディレクターに、一括丸投げするのでありますよ。

「ルートさんの魔法」と我々は呼んでいます。

オフィス・ルート56の関口五郎さんこそが、その魔法使い。

今から13年前に最初の『おたすけこびと』を出版して以来、ずっと画像データの調整を担当してくれています。

コヨセさんの絵のクセを熟知し、最後の帳尻合わせを引き受けてくれる頼もしい味方。

 

この日も、コヨセさんと私が編集部をでるときに、ちょうど関口さんがやってきました。

赤字がどっさり入った校正紙を受け取りにきたのです。

「すみませ〜ん、今回も修正が山のようにあります…」と、ぺこぺこ頭をさげる私達。

「いやいや、ぜんぜん大丈夫ですよ〜」

朗らかに笑って編集部に入っていった関口さん。

 

いまも笑ってくれているかしらん… (^_^;)

どうぞよろしくお願いします! 

 

 

******

 

おたすけ制作日記はこちらから、どうぞ。 (この記事はです)

 

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