わたあめ製造機

 

 

わたあめを作ったことはありますか?

 

子どものころ、うちに小さな わたあめ製造機がありました。

ザラメを一匙投入して、スイッチオン。

やがて白い雲のようなものがふわふわと出てきます。

それを割り箸でからめながら、くるくるまいて、わたあめにするのです。

 

うちになぜ、そんな機械があったのか。

母にたずねてみても、「さあねえ。お祭りの景品かしら、誰かにもらったのかしら」。

亡くなった父は甘党だったから、わたしと妹を喜ばせようと買って抱えてきたのかも。

けれどもちろん、日常的にわたあめを作ったわけでもなく「何回か使って、畳屋さんの坊やにあげちゃった」のだそうです。

 

わたしは物語をつくるときに、しばしば、この わたあめ作りを思い出します。

 

物語の「もと」は、ザラメ。

茶色っぽくて、いろんな雑味があるザラメ。

これがなければ始まらないのだけど、姿をかえて、ほわほわと白い蒸気のようにわいてくるものは、なんとも儚く、たよりない。

夢か幻のようで、ほとんど気体にしかみえない。

 

でも、割り箸で注意深く ひとつところに巻きつけていくと、そのうちに固体になる。

指でさわれて、ぺろりと舐めて、はむっと口にできるものになる。

 

ひとしきり、子どもの笑顔を誘うことはできる。

ごはんほど、大切ではないけれど。

甘さに飽きて、じきに、ぽいと捨てられるけど。

それでも、ふとした拍子に、もしかしたら何十年か後にも、ぼんやり懐かしく思い出してもらえるかもしれない。

 

…そんなところまで。

 

 

 

線画と短い文章で織りなす、すこし長めの物語絵本。

こんどは、男の子を主人公にしてつくっています。

 

最初にザラメを投入してから、なんともう一年が過ぎていました。

珍しいことではありません。

ザラメを替えたり、機械のつまりを修理したり、停電したり…の時間が長かったのです。

 

ようやく、ふわふわの白く甘い雲の糸が順調にわいてでてきて、割り箸でくるくる巻いていく段階になりました。

 

あとは職人仕事です。

 

 

 

 

てのひらで つたえる

 

 

"Three Squeezes"というタイトルの絵本を翻訳しています。

 

 まだ あるけない

 ことばも わからない

 それでも きみの いのちは かがやいている

 

赤ちゃんの小さな手を、大きな大人の手が、そっと触れています。

よろしくね、というように。

男の子と、おとうさんです。

 

 

すこし大きくなった男の子は夜中にめざめ、こわい夢でもみたのか、おびえて泣きます。

すると父親は、

 

 あかりを つけて だきあげて

 きみの せなかを 

 とん とん とん とん

 きみが また すやすや ねむるまで

 

温かな手のひらで、ゆっくり、とん  とん…とたたかれると安心するのは、なぜでしょう。

じぶんとはべつの大きな心臓の鼓動のように感じるから。

その存在が、すぐそばで守ってくれるとわかるから。

 

男の子は少年になり、高いところから飛び降りて怪我をしたり、野球の試合で失敗したり、アイスクリームを落としちゃったり…と、いろいろやらかします。

その都度、父は、さりげなく手を添えて励ますのです。

きっと、言葉数は多くなかったことでしょう。

 

生意気ざかりの思春期を迎えた息子と父は、鋭い言葉の応酬で互いを傷つけもします。

 

 それでも きみか わたしの どちらかが

 せなかに そっと 手をおけば

 きずは いつしか いえていた

 

言葉ではなく、てのひらのほうが雄弁なこともあるものです。

 

 きみの よろこびと かなしみに

 てのひらを そえて みまもったことが

 いったい なんど あっただろう

 

そうして、男の子は家を巣立っていきます。

父は、その姿を祝福し、成長した息子への信頼を呟きます。

 

 やがて きみにも 

 まもるべきものが できるだろう

 そのとき きみは もう しっているはずだ

 きみの てのひらの ゆたかさを

 

ふむ。

ほんとうに子育て完了ですね。

けれども、この絵本は (そして人生も)、ここで終わりではありません。

最後の もうひと捻りに、意表をつかれました。

 

終盤の夕焼け色の画面は、冒頭の朝陽と対をなして、しずかに輪をとじます。

言葉にならない余韻をのこして。

 

 

 

***

 

…とまあ。

なかなか良い作品なのですが。

いやあ、苦労しました。

 

なぜって、原題が "Three Squeezes"なのですよ。

そういわれて、ピンとくる方はいますか?

 

直訳すると「三回ギュギュギュ」。

スクイズは野球用語でもありますが、レモンやオレンジなどを絞る動作。

すなわち片手で、あいての手や腕、肩などを、ギュ、ギュ、ギュと三回つかむこと。

その意味するところは、「愛してる」「きみのことを気にかけてる」「私はここにいるよ」など。

 

おそらく北米特有のボディランゲージです。

しかもアメリカ人のなかでも「うちでは、おじいちゃんの代から、家族間の合図だったよ」という人もいれば「なにそれ、全然しらない」という人もあり。

ネットの○○小町みたいな欄に「きのう彼氏に、三回ギュギュギュってされたんですけど、どういう意味でしょうか?」と投稿が掲載されて、答える人の意見もいろいろだったり…。

 

絵本の著者、ジェイソン・プラットさんの家族は、ギュギュギュ派だったわけですね。

なるほど………。

と、深く納得したものの。

さて、これを日本語にしなくちゃならない私は、どうしたらよいのか?

 

翻訳には、ふたつの柱があります。

ひとつは、言葉や文化が違っても共通する思いや感情に寄り添うこと。

もうひとつは、言葉や文化の違いから生じる新鮮な気づきに光をあてること。

このふたつの支柱をうまく撚り合わせることで、共感と新鮮な驚きが混じりあい、翻訳文学特有の魅力がうまれます。

 

でも今回は、新鮮な異文化習慣である「ギュギュギュ」を前面にだすことは諦めました。

プラットさん、ごめんなさい。

身体接触の距離感や親愛の情を示す動作がアメリカと日本で異なるのは当然ですが、手の骨格や厚みのちがいなのか、はたまた、日本には手の所作の文化がしっかりと根づいているからなのか、あれこれ試みても違和感が粒立って作品を壊してしまうのです。

しかたなく、ぎりぎり歩み寄れる表現をさがす方向に転換しました。

でもきっと、あなたが伝えようとしたことは、日本語にできたと思います。

 

翻訳の仕事のかなりの時間は、目の前にたちはだかる「不可能」の壁をにらんで、むぅむぅと唸ることに費やされるように思います。

翻訳者は、あきらめずに抜け道をさぐり、握力をきたえ、鈎縄をみがき、あるいは煙幕を工夫するなど、ボルダリング忍法に精進あるのみ…。

 

 

 

「ちいさなあなたへ」のことを書きました。

 

東洋経済オンラインに「ちいさなあなたへ」のことを書きました。

あしたは、母の日ですし。

 

けれども私としては、いつか多くのみなさんに届くかたちで書いておきたいとおもっていたことがあって引き受けた原稿です。

どうぞ読んでください。

https://toyokeizai.net/articles/-/349226

 

…とはいうものの。

それだけじゃ愛想がないですよね。

 

著者のアリスン・マギーから届いたメッセージを転載しておきましょうか。

 

「世界中が新型コロナウイルスに覆われてしまった今年の母の日に公開される記事です。

さまざまな困難や不安とともに生きる母子、これまで以上に生きにくくなってしまった人々への言葉を」とのリクエストに対して届いたものです。

 

いうまでもなく、アメリカの状況は、いまの日本よりも厳しい。

言葉のはしばしから彼女の苦悩がつたわってきて、翻訳をするときにも心が軋みました。

 

***

 

Someday 

 

地球を覆いつくすパンデミックのさなか、家の中で身を寄せあっている子どもと親たち、祖父母たちの姿を、わたしは思いうかべます。なかには、じゅうぶんな食べ物や安心できる住まいをもたない人たちもいるかもしれません。

もしあなたが今とても苦しかったなら、あえて視界を狭めて「その日のことだけ」「片足を一歩前に動かすことだけ」を考えてください。

そしてまた、視界をぐっとひろげて、はるか遠くのことを考えると、息がつけるようになるのも、ほんとうです。

わたしはよく、わたしの人生よりもずっと先の未来のことを考えます。

いつの日か、この美しい星に今以上に思いやりに満ちた社会がひろがって、わたしたちの子どもたちは、より良い世界を生きられるかもしれない。その大きな希望が、わたしの心の混乱を整えてくれるのです。

 

個人より公共の利益を重んじる美徳をもつ日本のみなさんへ、敬意とともに。

 

ハッピー・マザーズデイ。

 

                            アリスン・マギー

 

 

おたすけこびとと おべんとう 初校がでました

 

ひさびさに電車にのって都心にでかけ、おたすけ会議をしてきました。

オフィスは、がら空き。編集部は、除菌シート完備。

 

不要不急ではなく、必要火急の作業です。

持ち出し厳禁の原画と、初校(初回の校正紙)を照らし合わせて吟味したうえ、早急に印刷所に戻さなくてはならないので。

 

印刷につかうインキは基本的に、シアン(青)、マゼンタ(赤)、イエロー(黃)、ブラック(黒)の4色だけです。

この4色のかけ合わせで、ほとんどの色が再現できるのは驚きですが、やはり原画の絵の具の色どおりにはいきません。どうがんばっても、印刷ではだせない色もあるのです。

そこで妥協できるところと、もうちょっとがんばってほしいところ、どういう色に近づけてほしいかなどを、校正紙に細かく書き込んでいきます。

 

 

とはいえ、4色のインキを何%増減したらよいかということは、私達にはわかりません。

「原画に近づけてください」「濁りをとってください」「黒を強めに」「もっと美味しそうな黄色に」などの注文をつけるのが精一杯。

この注文を数値化してくれるのが、プリンティングディレクターという人たちです。

デジタル能力はもちろんのこと、絵心を備えたプリンティグディレクターの協力を得られるか否かで、絵本の出来栄えは、ぐんと変わってきます。

 

 

色の調整に加えて。

おたすけこびとの絵は、とてもとても、と、て、も、細かい…。

おたすけチームは家内制手工業体制でこびとの検品に努力しましたが、それでもやっぱり、取りこぼしがあるのです…(泣)。

 

たとえば、この窓の奥にちょこっと見えるこびと。

ヘルメットが塗られていないことに、いままで気がつきませんでした…。(縦横2ミリ)

あぁあ、四人で何度も見たのになぁ…。

 

 

そして、トラックを運転するこびとの手も、塗り忘れです…。(直径1ミリ)

 

 

こんなのもありました。

バスドラムのスティックの先端に白いマレットがついていたり、なかったり。(直径0.8ミリ)

 

  

 

ロードローラーの給油口を描き忘れたことに気づいたコヨセさんは、頭を抱えました…。

 

  

 

べつにいいじゃ〜ん、それくら〜い。

…と、つぶやきたくなるような小さなことばかり。

でも「だめだめ。子どもは気がつきますよ。くりかえし、くりかえし何度も読むんだから」

「そう。こういう綻びがあると、がっかりするんだよね」と、かわりばんこに頷いて、微塵も妥協をゆるさぬ おたすけチーム!

 

とはいえ、こんなチマチマとした修正希望箇所を山のように積みあげちゃって、どうするのかといえば…。

 

フッフッフッ。

おたすけチーム御用達のプリンティングディレクターに、一括丸投げするのでありますよ。

「ルートさんの魔法」と我々は呼んでいます。

オフィス・ルート56の関口五郎さんこそが、その魔法使い。

今から13年前に最初の『おたすけこびと』を出版して以来、ずっと画像データの調整を担当してくれています。

コヨセさんの絵のクセを熟知し、最後の帳尻合わせを引き受けてくれる頼もしい味方。

 

この日も、コヨセさんと私が編集部をでるときに、ちょうど関口さんがやってきました。

赤字がどっさり入った校正紙を受け取りにきたのです。

「すみませ〜ん、今回も修正が山のようにあります…」と、ぺこぺこ頭をさげる私達。

「いやいや、ぜんぜん大丈夫ですよ〜」

朗らかに笑って編集部に入っていった関口さん。

 

いまも笑ってくれているかしらん… (^_^;)

どうぞよろしくお願いします! 

 

 

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ハロウィンのかぼちゃをかざろう

 

季節にふさわしい本を書店にならべるために、本作りの現場はいつも季節を先取り。

印刷と製本の時間があるので、最終作業をおこなうのは2-3か月早いのがふつうです。

でも海外で印刷され製本されるコープロの場合は、もっと早くなります。

なんと半年ほど…。

そんなわけで今、わたしの机の上はハロウィンなのであります。(もはや、ただの季節はずれ…)

 

この本は、一昨年に刊行された『クリスマスツリーをかざろう』の姉妹本です。

家族でモミの木を買いにいき、香りのよい生木にオーナメントを飾る手順やコツを描いた絵本で、いわば、おうちでできる正統派クリスマスの楽しみかた教本でした。

 

そして今回は、ハロウィンの楽しみかた教本です。

商業主義につられて異国のまねをするのは浅はかだという指摘もありますが、異文化の風習が根づくのは、その国にもともと類似の風習があった場合なのだそうです。

 

ハロウィンは、そもそも、先祖の霊を迎えるお祭りでした。

ご先祖さまと一緒についてきちゃう悪霊を追い払うために仮装をしたのだとか。

日本のお盆と似ているし、災いを追い払うために家々を回るコワモテ装束といえば、ナマハゲを思い出します。

さらに、子どもたちが近所をまわってお菓子をもらうのは関西の地蔵盆とよく似ていると、担当編集者の内田広実さんが教えてくれました。

 

薀蓄は、さておき。

こんども、かぼちゃ畑でお気に入りのかぼちゃを選ぶところから、絵本は始まります。

秋色の景色がとっても綺麗。ひんやりした空気が鼻腔をくすぐるようで、なんだかうきうきしてきます。

 

 

日本のかぼちゃは緑色ですが、ハロウィンかぼちゃといえば、オレンジ色。

でも、何色でもいいみたいですよ。

かぼちゃを切ってランタンを作るために必要な道具、注意点、ハロウィンをもりあげるためのあれこれがリズミカルに綴られます。

子どもたちの仮装やトリックオアトリートもでてきますが、主役はやっぱり、かぼちゃ。

 

日が暮れてから中に蝋燭を灯すと、かぼちゃランタンに命がやどります。

子どもたちがトリックオアトリートにでかけているあいだ、悪い魔物がこないように見張っていてくれるそうですよ。

怖い顔だけど、いいヤツだったんですね〜。

 

このかぼちゃくんの名前を、ごぞんじですか?

Jack-o'-lanternといいます。つまり Jack of lantern。

直訳すれば、提灯のジャック。

 

さて、日本語表記をどうしましょうか。

ちょうちんジャック? かぼちゃジャック? 

 

最近では、英語名の呼び方が広まってきたようです。

英語の発音だと「ジャコランタン」がいちばん近いとおもうのだけど、

関西にある編集部から「ちりめんじゃこを連想してしまう」との意見もありまして… (^o^);

迷ったあげくに「ジャック オ ランタン」となりました。(文字間を狭めたあたりが苦渋の痕跡)

「ジャック、を、らんたん!?」と読まないでくださいね…。

 

 

 

それにしても。

今も昔も、そして洋の東西を問わず、暗闇と炎と神秘の祭りは人の心の奥からなにか深いものを炙りだすようです。

 

半年さきの絵本、それも「わるい まものを おいはらってくれる」お祭りの翻訳作業を行いながら、いま世界中を覆っている魔物が祓われることを願っています。

 

 

おたすけ新刊用に おべんとう

 

小さなお弁当をつくりました。(このお弁当箱は、私が幼稚園のときに使っていた年代物です)

といっても、だれかのために早起きをしたわけではなく、お昼すぎからのらくらと。

 

いったい、なにゆえかといえば。

5月末に刊行予定の『おたすけこびとと おべんとう』にのせる著者近影撮影のため。

 

おたすけシリーズの著者プロフィール写真は、わたしたちの密かなお遊びです。

1冊目でコヨセさんとわたしがそれぞれ作った「ケーキ対決」の写真を載せて以来、なんとなく、ふつうの顔写真では物足りなくなってしまいました。そこで…

 

2冊目の『クリスマス』では、わたしがサンタ、コヨセさんが赤鼻のトナカイに。

3冊目の『まいごさがし』では、迷子の子猫探索にでかけるコビトたちに扮して雨具着用。

4冊目の『ハムスター』では、各自、取材のために飼育していたハムスターと。

5冊目の『あかいボタン』では、潜水艇で水中へ。

6冊目の『にちようび』では、モデルとなった亀のゴメちゃんとともに。

(扮装用の小道具は、すべてコヨセさんの手作りです)

 

 

毎回、コヨセさんの画業が峠をこえるころに、こんどはなににしようかと相談します。

そして、やっぱりお弁当だよね、となった次第。

 

わたしはのんびりお弁当を作って家人に撮影してもらったけれど、いまごろコヨセさんは、まだそれどころではなく、さいごの一枚の絵の仕上げをしているはずです。

がんばって〜。

 

 

……それにしても。

 

透きとおるような若葉の美しい季節。

その輝きとは裏腹に、みなさんの心には重苦しい不安がうずまいていることでしょう。

 

子どもたちがお弁当をもって戸外で遊び、おもいきり走り回って笑いさざめく日が早く戻ってきますように…。

子どもたちの笑顔が曇るかなしいことが、おこりませんように…。

祈りをこめて、晴れやかな絵本をお届けしたいとおもっています。

 

 

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マザーテレサの絵本

 

マザーテレサの伝記絵本を翻訳しています。

 

子どもが初めて読む伝記絵本として注目されているLittle People Big Dream シリーズ。

日本でも、いよいよ刊行がはじまることになりました。

 

このシリーズは、著者のイサベルさんが幼い姪たちに、みずから道を切りひらき、大きな夢をかたちにした女性たちのことを知ってほしいと思って始めたのだとか。

そのため、初期にとりあげられたのは女性ばかりでした。

しかしその後、男の子の読者がふえたので、男性の伝記も仲間入り。

2014年のココ・シャネルを皮切りに現在も続々と刊行がつづいています。

このなかから、日本の子どもたちに届けたいものを厳選して出版していくそうです。

 

 

低学年向きの文章 + いろんな画家によるポップでたのしい絵 + 巻末には中高学年を対象にした少しくわしい解説という構成です。

いや、それにしても、短く平易な文章で、人の生涯をまとめるって難しい…。

ゴッホやカンディンスキーのときもそうでしたが、資料をたくさん読んだうえで、むぅむぅと悩みます。(この作業が、じつはけっこう好き)

 

 

シリーズ編集担当の、ほそえさちよさんがアトリエに来てくれて打ち合わせ。

おやつは、おもたせの無花果ブランデーケーキと、わたしが作った酒粕ケーキです。

アルコール度がかなり高くなり、打ち合わせに熱が入りました。

いやいや、脱線することなく、まじめにやりましたよ〜。それもみっちり6時間…(^o^);

 

 

じつは。

わたしはマザーテレサに会ったことがあります。

しかも短い時間とはいえ、二人きりで…。

 

マザーテレサが初めて日本にやってきた1981年のことでした。

次回は、そのお話をいたしましょう。

 

 

おたすけ会議12

 

前回のおたすけ会議11から、二週間あまり。

いよいよゴールがみえる直線コースに入ってきました。

コヨセさんは お絵かき道具持参。

塗り忘れには編集部の隣で即対応です。

 

 

コヨセさんのパレットをごらんください。

渋いでしょう。

わたしのしっているプロの画家は、まずパレットを洗いませ〜ん。

洗うなんて、もったいない。

いままで選んできた色合いの集積ですから。

 

(ちなみに『プリンちゃん』の画家たかおさんのパレットはこちらで〜す)

たかおさんとずいぶん違うのは、絵の具チューブの扱いですね…笑。

 

 

今回は『おたすけこびとと おべんとう』。

子どもの遠足のお弁当を作るのは、おとうさんです。

ところが、せっかく作ったお弁当が忘れられていたので、おたすけこびとたちが かわりに届けに行きます。

おとうさんには仕事に遅れるなどの、のっぴきならない理由があるのでしょう。

 

最初の絵に文章はほとんどありませんが、そんな設定をすべて盛り込みました。

物語の情景をとことん話し合い、内容をつめていくにしたがって、文章をなるべくへらして絵に語らせるのが、おたすけチームの流儀です。

それこそが絵本の醍醐味だとおもうので。

だからどうか、絵を「読んで」くださいね。

 

 

それにしても、台所の絵がこなれていて、調理器具や食材に愛を感じます。

お弁当のメニューはもちろん、材料や手順が自然に浮かぶという コヨセさん。

「生活感があるね」と私が呟いたら、手を動かしながら「うん、台所生活が長いから…」と、さりげないおへんじ。

(そういえば、奥様が「このひとに先に逝かれたら、わたしが不便なんです」とおっしゃっていましたっけ…。(^o^)

ことさらにイクメンだの家事分担だのいわないところが、いっそう素敵です。

 

もちろん、重機の見せ場もたっぷりですよ〜。

 

さて、あと数週間で、のこる絵がすべて仕上がるでありましょうか…!?
はらはら、どきどき、がんばれー。

 

 

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おたすけ会議11・そして表紙デザイン

 

初夏に刊行予定の『おたすけこびとと おべんとう』

表紙のデザイン案がメールで送られてきました。

 

送られてきたのは3パターン。

あら〜、どれもいいわ〜 …って、そもそも、どこがちがうのだ?

 

おうちA4プリンターで印刷してミニ版を作り、ためつすがめつ比較して、デザイナー森枝氏の工夫と苦労を探ります。

ははぁん、ここにこの色をもってきたのは、こういう意味にちがいない。

この文字を縮小して著者名をここに配置した その心は? …などなど忖度いたします。

そのうえでまた要望をだすと編集部が取捨選択して森枝さんに伝え、よりよい結果へと導いてくれるのです。

 

 

さて。

表紙デザインが届くくらいだから、コヨセさんは、もう絵を描き終えて高いびきで昼寝をしているのかといえば、とんでもなくて……まだまだ、絶賛画業没頭中です。

20枚近く描く絵のなかから、完成したものを、すぐさまもぎとるようにしてスキャン作業にまわす、まるで追い剥ぎのような編集部。鬼だわ。

追い詰められるコヨセさんのプレッシャーはいかばかりか。

ガンバレー。 \(^o^)/ もちろん、私も鬼の一味。

 

↓これは過日、完成した原画数枚をもぎとられる現場写真。

 

 

完成した絵ではありますが、鬼のおたすけチームは、ほんの一瞬、わぁ〜♪と歓声をあげ、手を3回くらいパチパチしたあと、すぐに目をぐぐっと近づけて、その原画をにらみます。

じーーーーーーーーっ。

 

   ---(しばし沈黙)---

 

そして、

「ここ」

「あ、ここも」

「これもだよね」

 

塗り忘れを指摘するのです。

矢印のところが、それ。

苺やミニトマトのヘタとか、おかずカップのふちとか、楊枝のさきっぽとか…。

そりゃもう細かなことなんですけど。

 

 

無数にいるコビトたちも、きびしく検品されます。

こびとの手(直径1ミリ)や髪の毛、靴の裏、ヘルメットの内側などが注意箇所。

よってたかってコヨセさんをいじめてるみたいですが、これもツトメなんですのよ。

 

 

でももちろん、楽しいこともたっぷりあります。

ほら、このコビト。

 

 

おたすけ会議7で提案したダブルヘルメットのテントウムシを、ちゃんと描いてくれました!

かわいい…。

本が完成したら、探してみてくださいね。

 

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17世紀のアヒルからメッセージ

 

 

 

  「いかなる がちょうも 孤島ではない

   一羽にて 全きものとは なりえない

   すべての命は 大陸の かけらであり

   大いなる大地の ひとひらなのだ」

 

……

うーむ。

意味深長なような。

意味不明のような。

 

ヨーロッパで話題の絵本 "Little Island" の冒頭に記されています。

翻訳作業は、まずここで行き詰まりました。

作品の鍵となりそうだけど、よくわからん…。

 

ジョン・ダック氏が1624年に残した言葉だそうです。

みなさんはジョン・ダックを、ご存知ですか?

私はじぶんの教養の無さをかみしめながら、ネット検索しました。

どんぴしゃヒットはありません。

 

詩句のほうも、どんぴしゃヒットはないものの、似たような文言が絡んできます。

そしてなぜかしきりにヘミングウェイの名前が…。

そういえば、ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』の冒頭にも詩がありましたね。

 

    " No man is an island, entire of itself, 

            every man is a piece of the continent,

            a part of the main."

 

でも、この詩の作者はヘミングウェイではありません。

1572年生まれのイングランドの詩人ジョン・ダンによるもの。

牧師でもあったジョン・ダンが、戦火の絶えないヨーロッパを憂えて晩年に説教のために書いた詩といわれています。

 

…あら?

もしかして、ジョン・ダックって、ジョン・ダンのパロディ?

 

そのようです。

だから" No man is an island..."が " No duck is an island..."にかわっています。

なんたって、ガチョウとアヒルのお話ですからね。

なぁんだ〜。

 

それにしても、「いかなる人も 孤島ではない」という表現は、かっこいいけど「いかなるガチョウも 孤島ではない」は水にぷかぷか浮いているガチョウを想像しちゃって滑稽ですよね。そこがパロディってことかしらね。

 

 

献辞によれば、著者にこの作品のインスピレーションを与えて励ましつづけてくれたのは、アヒルのベンさんだそうです。

おそらく著者のスムリティさんも、アヒルなのでしょう。

 

いえいえ。

冗談ではなく、本気です。

それというのも、この絵本は、小さな水鳥の島にくらす アヒル vs ガチョウの物語だから。

 

小さな島の豊かさに惹かれて、対岸から 牛、馬、豚など、ほかの動物たちがやってきます。

そのことに危機感を募らせたガチョウは議会で演説をふるって多数派となり、橋を壊してしまうのです。

なにによらず、壊すのって、簡単らしいですよ。

(↓手前のアヒルは、手伝いながらも泣いています…)

 

 

けれども、すっきりといい気分だったのは、最初だけ。

いろんなところに不具合が生じてきます。

そのようすは、とてもユーモラス。

 

  

 

  

 

そして結局、橋を再建することになるのです。

こんどは一気にとはいきません。

すこしずつ、すこしずつ…。

信頼と絆をつくりあげるのには、時間がかかりますから。

まして、いちどこじれた仲なら、よけいにね。

 

 

くすくす、にやにや笑える愉快なおとぎばなしです。

とくに集団で仲違いをしたことのある幼い子には楽しんでもらえるでしょう。

 

でも前回もお伝えしたように、これはイギリスのEU離脱をテーマに作られた絵本なのです。

おなじく小さな島国であり、外国の人達が大勢やってくるようになった日本の私たちにも、いろんな読み方ができそうです。

 

たとえば、子どもといっしょにこの本を読んで「あなたは、アヒル? それとも、ガチョウ?」と問えば、「アヒルにきまってるよ。みんな仲良くしなくちゃ」と答えてくれるでしょう。

ほんとにそうだよね、ずっとそう思ってくれるといいなと深く頷いてしまいます。

でもじつは、ガチョウの気持ちも、わからなくもないのです。

 

風通しのよい、多様性を許容する社会になってほしい。

その願いは変わりません。そのための努力もつづけていくつもりです。

 

いっぽうで、固有の文化はどう変質していくのか。

コンビニとチェーン店ばかりが金太郎飴のようにつづく地方都市の風景のように、失うものがあるのではないか。

言語と教育はどう変化していくのか。

真剣に考えると不安があるのも事実です。

 

白か黒の二択にとびつくまえに、間に存在するグレイの階調を否定しないこと。

あるいは、異なる視点を想定したうえで選びとることが大切なように思います。

 

ふたたび、いいえ、何度でも問いましょう。

あなたは、そしてわたしはアヒル?  それとも、ガチョウ?