てのひらで つたえる

 

 

"Three Squeezes"というタイトルの絵本を翻訳しています。

 

 まだ あるけない

 ことばも わからない

 それでも きみの いのちは かがやいている

 

赤ちゃんの小さな手を、大きな大人の手が、そっと触れています。

よろしくね、というように。

男の子と、おとうさんです。

 

 

すこし大きくなった男の子は夜中にめざめ、こわい夢でもみたのか、おびえて泣きます。

すると父親は、

 

 あかりを つけて だきあげて

 きみの せなかを 

 とん とん とん とん

 きみが また すやすや ねむるまで

 

温かな手のひらで、ゆっくり、とん  とん…とたたかれると安心するのは、なぜでしょう。

じぶんとはべつの大きな心臓の鼓動のように感じるから。

その存在が、すぐそばで守ってくれるとわかるから。

 

男の子は少年になり、高いところから飛び降りて怪我をしたり、野球の試合で失敗したり、アイスクリームを落としちゃったり…と、いろいろやらかします。

その都度、父は、さりげなく手を添えて励ますのです。

きっと、言葉数は多くなかったことでしょう。

 

生意気ざかりの思春期を迎えた息子と父は、鋭い言葉の応酬で互いを傷つけもします。

 

 それでも きみか わたしの どちらかが

 せなかに そっと 手をおけば

 きずは いつしか いえていた

 

言葉ではなく、てのひらのほうが雄弁なこともあるものです。

 

 きみの よろこびと かなしみに

 てのひらを そえて みまもったことが

 いったい なんど あっただろう

 

そうして、男の子は家を巣立っていきます。

父は、その姿を祝福し、成長した息子への信頼を呟きます。

 

 やがて きみにも 

 まもるべきものが できるだろう

 そのとき きみは もう しっているはずだ

 きみの てのひらの ゆたかさを

 

ふむ。

ほんとうに子育て完了ですね。

けれども、この絵本は (そして人生も)、ここで終わりではありません。

最後の もうひと捻りに、意表をつかれました。

 

終盤の夕焼け色の画面は、冒頭の朝陽と対をなして、しずかに輪をとじます。

言葉にならない余韻をのこして。

 

 

 

***

 

…とまあ。

なかなか良い作品なのですが。

いやあ、苦労しました。

 

なぜって、原題が "Three Squeezes"なのですよ。

そういわれて、ピンとくる方はいますか?

 

直訳すると「三回ギュギュギュ」。

スクイズは野球用語でもありますが、レモンやオレンジなどを絞る動作。

すなわち片手で、あいての手や腕、肩などを、ギュ、ギュ、ギュと三回つかむこと。

その意味するところは、「愛してる」「きみのことを気にかけてる」「私はここにいるよ」など。

 

おそらく北米特有のボディランゲージです。

しかもアメリカ人のなかでも「うちでは、おじいちゃんの代から、家族間の合図だったよ」という人もいれば「なにそれ、全然しらない」という人もあり。

ネットの○○小町みたいな欄に「きのう彼氏に、三回ギュギュギュってされたんですけど、どういう意味でしょうか?」と投稿が掲載されて、答える人の意見もいろいろだったり…。

 

絵本の著者、ジェイソン・プラットさんの家族は、ギュギュギュ派だったわけですね。

なるほど………。

と、深く納得したものの。

さて、これを日本語にしなくちゃならない私は、どうしたらよいのか?

 

翻訳には、ふたつの柱があります。

ひとつは、言葉や文化が違っても共通する思いや感情に寄り添うこと。

もうひとつは、言葉や文化の違いから生じる新鮮な気づきに光をあてること。

このふたつの支柱をうまく撚り合わせることで、共感と新鮮な驚きが混じりあい、翻訳文学特有の魅力がうまれます。

 

でも今回は、新鮮な異文化習慣である「ギュギュギュ」を前面にだすことは諦めました。

プラットさん、ごめんなさい。

身体接触の距離感や親愛の情を示す動作がアメリカと日本で異なるのは当然ですが、手の骨格や厚みのちがいなのか、はたまた、日本には手の所作の文化がしっかりと根づいているからなのか、あれこれ試みても違和感が粒立って作品を壊してしまうのです。

しかたなく、ぎりぎり歩み寄れる表現をさがす方向に転換しました。

でもきっと、あなたが伝えようとしたことは、日本語にできたと思います。

 

翻訳の仕事のかなりの時間は、目の前にたちはだかる「不可能」の壁をにらんで、むぅむぅと唸ることに費やされるように思います。

翻訳者は、あきらめずに抜け道をさぐり、握力をきたえ、鈎縄をみがき、あるいは煙幕を工夫するなど、ボルダリング忍法に精進あるのみ…。

 

 

 

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