「やまの動物病院」ひそかに進んでいます

 

作絵の、のほほん幼年童話「やまの動物病院」

そろりそろりと進んでいます。

 

「やまの」動物病院ですからね、山の動物たちがやってくるのです。

今回の登場動物は、上記写真のとおり。

 

クルマは「田中さん」という人間のおばさまの乗用車です。

 

絵がほぼ完成したので、印刷につかう紙選び。

2種類の紙に試し刷りをしてもらいました。

ちがいがわかりますか?

 

 

左の紙は黄色みを帯びて柔らかく手触り感のある紙。

ノスタルジックな雰囲気が魅力ですが、色がすこぅし濁ってしまいます。

それにめくると皺になりやすいのが、ちと残念…。

 

かたや右は、すこし厚手でしっかりした白い紙。

色も濃淡もきれいにでます。でも、やや冷たいのかなあ…。

 

ひとりで悩んでいても結論はでません。

ひさびさに電車に乗って徳間書店にでかけていき、U編集者や、ルートさんこと、デジタル師匠の関口五郎さんに相談にのってもらいました。

 

むかしのインクは紙に吸い込まれてじわじわと乾燥したけど、いまのUVインクは速乾性で吸い込まれずに上に乗るんですって。

濃淡も綺麗にでるし、進化したようですよ。

それにしても、紙によってほんとうに印象が変わるし、色も変わってしまう。う〜む〜。

 

関口師匠は「どっちの紙を選んでも、なかがわさんが出したい色に調整してあげますから、だいじょうぶですよ。妥協せずにおもいっきりやってください」とニコニコ。

なんて心強いお言葉! うう……(;O;)

 

 

 

関口師匠が帰ったあと、打ち合わせ part2。

この本の装丁をお願いする前田浩志さんが現れました。

 

すると編集部に、どよめきが走ります。

 

「わあ、伝説のデザイナーだ!」

「前田さんて、ほんとに実在してたんですね」

 

…なんだこの、へんてこな興奮状態は!?

 

じつは前田さんは、いわゆる本の装丁家ではありません。

音楽関係のデザイナーとしてサザンオールスターズや L'Arc~en~Ciel と関わり、現在は企業デザインにも幅を広げられているとのこと。

 

にもかかわらず、なぜ徳間書店児童書編集部がつよく反応するかといえば、徳間のクマちゃんマークのデザイナーだからです!

 

↓徳間→トクマ→戸をあけるクマ…ってダジャレ。。気づいてましたか?

 

しかも前田さんは、徳間書店児童書の前身である福武書店ベストチョイスシリーズのマーク及び全体の統一デザインも手がけていました。

 

↓ほら、ベストチョイスシリーズの奥付には必ず前田さんのお名前が…。

 

ちがう世界で忙しい方なので、編集部を訪れたのも初めてだったという次第。


U編集者とは旧知の仲だから、同窓会の雰囲気っぽい。

わたしも、ベストチョイス時代からずーっと奥付の小さな文字でなじんできたお名前ゆえ、かってに同窓会に入会。

 

なごやかに、のほほんとした雰囲気で「どんな表紙にしようかねえ…」と話が進みました。

 

 

前田さんが、副主人公の まちの先生(人間・熟年独身男性)を妙に気に入り、続編ではぜひ、まちの先生の恋物語をとリクエストがあったのは、まあご愛敬…ってことにしておこう。。

 

↓まちの先生 (そういえば、なんとなく似てる?)

 

 

「あるひ くじらが やってきた」も、印刷中です。

 

 

「あるひ くじらが やってきた」(原題"Walk of the Whales")も、最終校正がおわって、印刷段階に入っています。

 

 

あるひ突然、くじらたちが続々と海からあがってきて、わたしたち人間の隣人として暮らしはじめるという愉快なお話です。

 

くじらは大昔に、なんらかの事情で陸から海に引っ越した哺乳類ですからね。

なんらかの事情で、また陸にもどってきたのでしょう。

引っ越し好きなのかな。

 

子どもたちは、おおよろこび!

おとなたちは、ちょっと当惑…。

 

なにしろ巨体ですから。

自転車屋さんは、タイヤがくじらの体重でパンクをしないよう、空気入れに大忙し。

レストランでは、魚料理メニューの充実が急務です。

バレリーナは、プリマドンナのくじらを抱きあげるべく、筋力アップにつとめます。

 

電車は、いつも満員。(というか、おひとりさまでも?)
でも、すてきなくじらの歌がきけるから、みんな満足!

 

とはいえ、楽しいことばかりではありません。

風貌も生活習慣も違う新住民と旧住民のあいだには、どうしたって摩擦が生じます。

 

案の定、くじら排斥デモが始まってしまうのです。

最終的に不満が爆発するきっかけが「食」と「経済」であるあたりが、なんとも現実的。

 

そう。

夢とロマンの絵本かと思いきや、芯にあるのは社会問題でした。

 

排斥を叫ぶ人びとの怒号を縫って、ひとりの女の子の声が響きます。

「みんな まって! ちゃんと話をきこうよ!」

 

女の子はしずかにクジラに問いかけます。

「どうして 海から あがってきちゃったの?」

 

ふむふむ、なるほど…。

社会問題のそのまた奥に、環境問題があったようですね。

 

 

ここで私が思い出したのは、ケストナーの「動物会議」でした。

 

1949年にドイツで出版された「動物会議」は、戦争を繰り返す人間社会に憤った世界中の動物たちが、子どもたちのために立ちあがる物語です。

ウクライナのことがあって最近また注目されています。

 

「動物会議」にでてくる人間の子どもたちは、とりたてて行動を起こしませんが、人間社会の愚かさを子どもの視線でコミカルに批判し、次代を生きる者たちに明るい希望を託す構図は、このあたりに源流があるような気がします。

 

子どもたちには、くすくす笑いながら本を楽しく読んでほしい。

どうすればみんなが幸せな社会を築けるのかを考えていってほしい。
明るくまっすぐな瞳を、どうか曇らせないでほしい。

ケストナーから受け継いだ願いを、世界中の子どもの本の作者たちはずっと育ててきたのでしょう。

 

 

…とはいうものの。

いまニュースにあふれかえる諸問題は「じゃあ、あとは頼むね、子どもたち」と手渡してしまうにはあまりにも重く苦しい。

人間の愚かさや弱さを熟知してしまった大人としてできることは何だろうと、日々悶々としています。

 

「あるひ くじらが あるいてやってきた」も、物語はハッピーエンドですが、最後にひと刺し、チクッとあるんですよ。

幼い子どもたちは気づかずに、にっこり笑って本をとじてくれればいい。

でも少し大きくなった人たちには「チクッ」を感じてもらえますようにと、訳文を工夫したつもりです。

成功してるかなあ…。

 

 

 

「ことばコレクター」印刷中です。

 

ピーター・レイノルズの翻訳絵本「ことばコレクター」

わたしの手はもちろん、編集部の手も離れて、いま印刷中です。

 

 

この本は、描き文字部分の作業が、とてもたいへんでした。

至るところにちりばめられた言葉たちの訳語を考えながら、わたしは何度「んもう、ピーターってば…」と、ぼやいたことか。

でも、いちばんご苦労されたのは、ひとつひとつ配置を考えながら文字を描いたデザイナーの水崎真奈美さんでしょう。
その確認をする編集者の木村美津穂さんと黒田寛子さんも、ひぃひぃ言っておりました。

 

わたしが「クリムソン」としたものが、水崎さんの描き文字では「クレムリン」になっていたことに気づいて、あわてたこともありましたっけ。

よりによってクレムリンだなんて!と眉をしかめたけど、連日重苦しいニュースに接しているせいですね…。

 

 

さて。

主人公のジェロームくんは、おきにいりの言葉をあつめる「ことばコレクター」です。

でも、あたりまえだけど、彼が集めたのは英語だったのです。

翻訳者としては、原文と離れた訳語を考え出さなければならない箇所が多くありました。

 

だって「音節がふたつで、特別感のある」英単語や「音節がたくさんあって小鳥の歌声のような」英単語を直訳したところで意味はありません。そんな印象をうける日本語単語を探さなくては。

とにかく、この本の目的は、日本語で読む子どもたちに、言葉のおもしろさに気づいてもらうことなのです。

 

そこでたとえば、「たった2つの音で、とても大きなものを表すことば」として、わたしが当てはめたのは…

 

  やま  うみ  そら  ゆめ

 

うふふ、なかなかいいでしょ? (ドヤ顔 (^。^)

 

 

 

たくさんの言葉をあつめると「じぶんの考えや きもちを、たくさんのひとに伝えられる」ことに気がつくジェローム。

 

でもなんと、彼がさいごにしたことは、それらをすべて、手放すことでした。

 

それはもう思いきりよく、すがすがしく。

 

 

 

言葉の力をしっている私たち。

いえ、しっているはずの、私たち。

 

直接的な暴力による衝突をさけるために、人間は言葉を発達させてきたという説を読んだことがあります。

 

わらいながら、うなずきながら、言葉を大切にみつめていきたいものです。

 

 

 

 

マッキーさんに、さようならと ありがとう。

 

「せかいでいちばんつよい国」が、また増刷されました。
新聞やテレビで紹介される機会も増えました。

 

2005年に翻訳出版したこの本は、国際的な緊張が高まるたびに注目されるのです。

素直に増刷を喜べません。

 

「せかいじゅうの 人びとが われわれと おなじように くらせるように」あらゆる国を征服しようと戦争をしかける大統領の物語です。

ところが、ひとつだけ、征服できずに残った国がありました。

それというのも、その国には兵隊がいないので、戦争ができない…。

あら、こまった…。

 

深刻なテーマを扱いながらユーモラスに、けれどあくまで真剣に子どもたちに語りかけるこの絵本が作られた2004年当時、イギリス人の著者デビッド・マッキーさんは69歳でした。

アメリカの中東政策に抗議すべく、烈火の勢いで制作したそうです。

 

イスラムの方と家庭を築いていたこともありますが、マッキーさんの制作の主軸はつねに硬派の社会風刺でした。

世界的に有名なカラフルな『ぞうのエルマー』も、芯にあるのは社会と個人の関わりです。

異文化の人びとと豊かに共存する社会を築いていくことは、マッキーさんにとって大切なテーマだったのです。

 

来日したときに、ごはんをご一緒しましたが、日本酒に舌鼓をうちながらお箸をつかい、「おいしいサラダを作るコツはね、歯触り、舌触りがちがうものをいろいろ混ぜることだよ。人間といっしょだね」と笑っていらしたことが忘れられません。

 

いまのウクライナ情勢を、はたしてどんな思いで見ていらっしゃるのだろうと、編集者の鈴木真紀さんと話していた翌日、訃報が飛びこんできました。

 

 

87歳。

亡くなる前のマッキーさんは、ニュースをみて、絶望したでしょうか。

 

それとも、人間はあいかわらず愚かだなあ。だからこそ、なんどでも、そうではないあり方について、子どもたちの柔らかな心にむけて語りつづけていかなければならないのだよと、呟かれたでしょうか。

 

後者であってほしいと、ねがいます。

 

 

 

 

写真のマトリョーシカは、わたしが彩色したものです。

エロール・ル・カインのロシア絵本を翻訳したとき、ロシアの家庭料理のお店に取材にいき、ロシア特有の模様や色遣いについて教わりながら絵付けをしました。

 

接客してくれたロシア人女性は、壁に貼ってある地図を眺めながらロシアがいかに広大で、さまざまな民族によって成り立っているかを語りました。

素朴で、質素で、忍耐強く、あたたかな家庭を大切にする人びとであることも。

深い森の、きのこ狩りや、苺摘みのたのしさも。

 

 

 

ウクライナの絵本作家

 

15年前に翻訳をした絵本『ゆうびんやさん おねがいね』の増刷見本が届きました。

18刷りなので、地味ながらロングセラー。

とってもかわいい絵本です。

 

もうすぐ、おばあちゃんのお誕生日。

コブタくんは、遠い町に住むおばあちゃんに、なにを送ろうかと考えました。

おばあちゃんは、コブタくんが「ぎゅっ」とすると、とても喜びます。

そうだ、「ぎゅっ」を送ろう!

 

コブタくんのおかあさんは、えらいんですよ。

むりよ、そんなの、なんて言わずに、住所をかいた封筒をもって、コブタくんといっしょに郵便局へでかけたのです。

 

郵便局窓口のイヌさんは、しばらく考えていいました。

 

「ふうむ、そういうものは ふつうは はいたつしないんですが、

 とくべつに やってみましょう」

 

とくべつ、っていい響き。

でも、はて、具体的には、どうするの…?

 

コブタくんは、両手をおもいっきり大きくひろげて、イヌさんをぎゅっと抱きしめました。

 

「これくらい とくだいサイズの 『ぎゅっ』にしてね」

 

 

まわりのみんなは、おもわず、にっこり。

だけど、窓口のイヌさんが、おばあちゃんに配達するわけではありません。

 

イヌさんは仕分け係のヤギさんに、ヤギさんは大きな町にむかうトラック運転手のウサギくんに、ウサギくんは飛行場にむかうトラック運転手のヤマアラシ(!)さんに、ヤマアラシさんは飛行機のクマ機長に、クマ機長はおばあちゃんの住む町の運転手のアオサギさんに、アオサギさんは運転手仲間のキツネくんに、キツネくんは郵便局長のネコさんに、ネコさんは配達員のカモちゃんに…。

 

 

みんなは照れたり戸惑ったり、ついでに恋の告白をしたりしながら、仕事ですから大まじめに「ぎゅっ」を渡していきました。

 

こうしてついに、特大サイズの「ぎゅっ」が、おばあちゃんに届けられたのです!

もちろん、おばあちゃんは、すぐに「お返事」を託しましたよ。

 

 

絵本の画家は、バレリー・ゴルバチョフさん。

作絵の『すてきなあまやどり』や『アップルパイはどこいった?』も、とても魅力的です。

 

わたしは、あらためてプロフィールを、じっとみつめてしまいました。

 

ウクライナ共和国の首都、キエフの方なのです。

1991年にアメリカに移住したため、原書は英語で出版されていますが。

 

 

この絵本の魅力は、ひとが作った社会への信頼です。 (…登場人物はコブタだったりイヌだったりだけど…)

 

考えてみれば、会ったことのないひと、一生、会うこともないであろうひとに、とびきり大切なものを託すのって凄いことだと思いませんか。

じぶんの大切なひとのところへ、きっと届けてもらえると信じるのですから。

ええ、それは、たしかに届きました。

つぎからつぎに、手から手へと渡され、みんなの心を明るませながら。

 

絵本を読む子どもたちは、くすくす、にやにや笑い、じぶんがこれから歩んでゆく社会は、なかなか良さそうなところだなと思い、一歩をふみだす勇気を得ることでしょう。

 

けれども、いま彼の地で行われているのは、会ったことのないひと、会うこともないであろうひとの大切なものすべてを鉄の塊で粉砕する醜悪きわまりない行為。

その混乱と恐怖の渦中にいる子どもたちのことを思い、胸が苦しくなります。

ゴルバチョフさんも、どんなきもちでいることか…。

 

献辞の言葉にも、胸を突かれました。

 

 

ルートさんのオフィス訪問

 

 

進行中の幼年童話のために、ルートさんのオフィスを訪問して、教えを乞うてきました。

 

ルートさんとは、知る人ぞ知る敏腕プリンティングディレクターの関口五郎氏のこと。

ほとんどの人が「デジタル出版てなに?」だった時代から前線を走ってきた方です。

 

デジタルの前は、アナログ出版ていうのかしらん?

わたしが絵本を描き始めたころは、印刷所の職人さんが独特の勘でインクの量を調整をして原画に近づけてくれました。

それはそれで素晴らしいことだけど、アタリハズレが激しかったのも事実です。

 

そのあと、デジタルの時代がやってきました。

すべてが数値化されて、より正確になり、より再現性があがる…はず…だったのですが。

なんのこっちゃない、やっぱり、さいごは「絵心」なんですよね。

 

かくして、関口さんのようにデジタル職人の技と絵心をもちあわせたプリンティングディレクターが求められるようになったという次第。

 

「おたすけこびと」シリーズは最初の一冊目からずっと関口さん(=ルートさん)の助力をいただいてきました。

(最新刊「おたすけこびととおべんとう」の制作日記にも関口さんが登場しています。 http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=111)

 

 

…で。

そんなにすごい関口さんに、わたしが何を教わりにいったのかといえば…。

 

そこは全然すごくなくて、文章と線画、および彩色を、なるべくじぶんの手元で行うための初歩技術のお勉強にいったのです。

子豚ちゃんが幼稚園のお遊戯で真珠の首飾りをつけるような…。

馬の耳元でグレゴリオ聖歌を歌ってもらったみたいな…。

 

 

いやあ…。

ちゃんと理解してるのか、わたし?

関口さんの見本動作をiPhoneでせっせと撮影したけど…うーん…不安しかない。

 

 

いっぽう、同行したU編集者は、わたしが冷や汗かきかきメモをとっていてもしらん顔。

一緒に画面をのぞいてくれもせずに、じぶんのタブレットをパチパチパチパチ。

 

 

よほど忙しいのかイジワルなのかと思ったら、そうじゃなくて、わたしの本に使う紙について製作部とやりとりしていたんですって。(^。^);

 

ちょっと気がかりなことに、最近、いろんな出版社で「紙がない」という話をききます。

 

作り手としては、作品の内容に応じて、純白な紙、卵色の紙、薄くてしなやかな紙、ぱりっと硬い紙、つるつるの紙、ざらりとした紙などを選びたいのですが、その選択肢が狭まってきているというのです。

紙の本の衰退が、じわじわと迫ってきているのでしょうか…。

 

デジタルは世界の流れ。

わたしも、その恩恵に浴しています。

苦手とはいえ、デジタル技術をつかって本をつくっています。

 

でも、指先や手のひらで、紙をさわりながらめくる。

紙の音や匂いに包まれて、物語世界へと旅立つ。

その楽しみを子どもたちに手渡すことが、このさきもずっとできますようにと念じながら、ルートさんのオフィスを後にしました。

 

 

わたしの足もと

 

2022年。

わたしの新年は、遺品整理で始まりました。

 

11月末に母が亡くなったからです。

数年前に父が他界したのちも殆ど手つかずでいた両親の部屋を、とうとう片付けなければならなくなったというわけです。

 

わたしの両親はモノの少ない暮らしをしていました。でも、とにかく物持ちがよろしい。

押入の奥には、彼らが新婚時代に着ていた手縫いの浴衣やスーツ、その余り布やボタン、替えのファスナーまでが堆積岩のようにしまわれていました。母の裁縫箱には女学校時代から使っていた道具もあります。

二人が旅行をした先々の地図やパンフレットのぎゅう詰めで引き出しは開きません。父の趣味だった写真の束は言うに及ばず。

母の好みとはおもえない未使用の品々は「だって、いただいちゃったんですもの。いつか役にたつかもしれないし」で収納面積を占拠。昭和ヒトケタ世代の美徳ではありますが。

それにしたって高島屋の洋服箱をあければ、なぜかぎっしりポケットティッシュ…。

まったくもぉ〜、おかあさんたらぁ〜(;。;)

 

泣き笑いしつつ、せっせと仕分け&処分。

日頃のゴミ削減努力も空しく、非情なじぶんに気持ちがささくれて、どっと疲れる。

でもじつは、これが私にとってはグリーフケアなのだろうと、心の片隅で感じています。

 

 

 

制作中の幼年童話の担当編集者Uさんも、少し前にお母様を亡くされました。

わたしたちは、奇しくもおなじタイミングで親の遺品整理に奮闘しているのです。

 

Uさんがとくに苦労をしたのは、きものの始末だったとか。

彼女から届いたメールを、わたしは何度も読んでしまいました。

 

「母は、じぶんや叔母たちが当たり前のように身につけた、きものを着ること、お茶、お花、書道、日本画、洋裁和裁などを一切私にやらせようとはしませんでした。かわりに望んだのは、ピアノと英語を身につけること」

 

Uさんと私の親たちは、ともに終戦の年に17-20歳。

彼らが親になったとき、一時的であろうと日本文化に見切りをつけたことに胸が痛みます。

 

そのひとつの結果として、Uさんも私も、光吉夏弥さんや、石井桃子さん、瀬田貞二さんなどによって紹介された欧米の子どもの本を夢中になって読んで育ったといえそうです。

(あまり夢中になりすぎて生涯を捧げてしまったわけですが…)

 

わたしは、若かった父が、とくいげな顔で岩波の絵本をお土産にもって帰ってきた夜のことを覚えています。

幼稚園や小学校の先生たちも、翻訳絵本や児童文学の新刊を、とても楽しそうに読んでいましたっけ。

「敵国」とされていた異国から届くささやかな幸せの物語に心を寄せることで、大人たちも、人間というものへの信頼をとりもどしていったのかもしれません。

 

 

 

子どもの本にできることは、とても小さい。

だって、ほんとに小さな世界なのだもの。

 

だけれどそれは、ひとの足もとに蒔かれた種のようなもの。

土を得て、水を得て、光を浴びて、やがて大切なものへと育つのだろうと、元旦の夕暮れに思いをあらたにしています。

 

 

さてと。

はやく、のほほん物語のつづきに戻らなくちゃね。

 

 

 

 

とことんピーター

 

ピーター・レイノルズの絵本を翻訳しています。

ピーターの絵本を翻訳するのは10冊めなので、一方的に古いお馴染みの気分。
 

今回の本の原題は "The Word Collector"。

すなわち「ことばコレクター」です。

 

よのなかには、いろんな物のコレクターがいますよね。

切手、コイン、絵画、カード、昆虫、レコード、鉱物、ミニカー、キーホルダーなど…。

 

なにかを集めはじめると、その方面のアンテナが発達して、つぎからつぎに集めたくなってしまいます。

とことん、いってしまうから、収集欲って、ちょっとキケン。

 

だけど、こんなの集めてどうするのと首を傾げるようなものでも、たくさん集まると新しい地平をひらいてみせてくれるものです。

博物館って、その頂点かも。

 

 

 

さて。

絵本の主人公のジェロームくんは、なんと「ことば」を集めていました!

 

ピンとくるのだそうです。

友達と話しているときも、喫茶店の看板をみても、本を読んでいるときにも。

 

「ひびきがおもしろい」

「まさに、ぴったり」

「つい笑っちゃう」などなど。

 

気に入った言葉を、ジェロームはせっせと紙に書きつけました。

 

 

その紙片を、きちんと分類してスクラップブックに貼っていました。

まるで博物館の学芸員みたい。

 

 

ところが、ある日…。

 

 

すってんころりん!

すべて飛び散り、ごちゃまぜになってしまったではありませんか!

(のり付けが甘すぎたのだよ、ジェロームくん。それは初歩的ミスだ…(^0^;)

 

ここからの展開が、愉快です。

おもいがけない言葉と言葉が響きあって詩がうまれ、歌がうまれ、人びとを感動させます。

だれも聞いたことのない新鮮なものだったから。

 

でも、必ずしも目新しい言葉がよいわけではないと、ジェロームは気づくのです。

だれもがしっている ありふれた言葉にこそ、じつは力があることに…。

 

そしてさらに、意表をつかれる結末が待っています。

言葉って……うん……そういうものだよね……と、しみじみ頷くような。

 

おもしろいなあ、ピーターは。

だれもが思いつきそうで思いつかないことを、ひょいと捕まえてしまいます。

そしてそれを可愛い絵で、いともかろやかに見せてくれるのです。

 

 

とはいうものの…。

 

 

「翻訳作業」は困難をきわめました。

ふさわしい日本語探しに悩むのは毎度のことですが、今回はひたすら地味に「作業」時間がかかったのです。

 

絵本は、絵と文の合奏なので、その響き合いを確認するために、私は必ず原書に訳語を貼り込みます。
読んでみて、変更したほうがよいと思えば、また新しい言葉を貼り込むのです。

でも今回の貼り込み作業は、ほとんど苦行…。

終わりが見えない…。

紙とセロテープの切りかすにまみれて、夏休み終了前夜の気分を味わいました。

 

まあ、しかたないですね。

だって、コレクターですものね。

 

とことん、つきあいます…。

 

 

 

歌って踊ろう、プリンハロウィン!

https://www.youtube.com/watch?v=y_-2ucZgdSg

 

 

プリンちゃんシリーズの5冊には、楽譜がついています。

 

 

最初の1冊めが刊行間近となった2011年の夏。

担当編集者のYさんは、ねじりハチマキで、印刷の最終確認に追われていました。

画家の たかおゆうこさんとも、タイトル文字などで細かい打ち合わせを行います。

 

でも、お話をかいた私は、ヒマ。
それをチラッと見たY編集者がいいました。

「なかがわさん、なにかやりたそうですね。袖の文章をかいてください」

(ふつうは編集者の仕事です…ヒソヒソ)

 

袖の文章とは、表紙カバーの端に書いてあるもの。

前袖は、その本の簡単な紹介。後ろ袖は、著者紹介などが多いです。

 

 

べつにいいけど〜、と書いた文案をメールで送ると、おうちにいた たかおさんは声高らかに読み上げたそうです。そしてすぐに返事をくれました。

「リズムがいいから、娘が『プリンちゃんの歌ができたの!?』って喜んでたよ」

 

むむっ、歌!?

それ、楽しいかも!

気をよくした私は、ホイホイと曲をつくり、楽譜をかきました。

印刷の最終段階で、楽譜も入れてよ〜、とゴリ押しされた、気の毒なY編集者。

いわばブーメラン攻撃を受けたかたちである。

さらなる作業を加えちゃって、ごめんね…。(^。^)

 

さて。

話は、むしろそれから。

 

出版された本を読んで、近所の保育士さんと司書さんがいいました。

「歌があるなら、踊りもなくちゃ」

 

だもんで、みんなで歌って踊って試したあげく、プリンちゃんダンスができました。

震災の年の秋、気仙沼の小学校で、子どもたちと楽しく踊ったことが忘れられません。

 

 

すると、しばらくして。

理論社営業マダムのUさんがオルガンを弾き、お孫さんの歌とともに録音した音源をプレゼントしてくれました。
音源があったほうがイベントも盛り上がるでしょうという配慮です。

 

また、しばらくして。

たかおさんの身内のMONEさんが、この音源をもとに、クレイアニメーションを作ってくれました。

歌って踊るプリンちゃんの誕生です!

趣味? 特技? 余技?のようですが、クレイアニメーションを作るのって根気がいりそう…。

 

そして、さらに数年たった、つい先日。

MONEさんから連絡がありました。

「ハロウィン版のクレイアニメーションができました。でも、歌がないのです」と。

 

(じつは音楽もかなりイケる たかおゆうこが自ら歌ってみたけれど、やはり子どもの声のほうが可愛いと断念したことはオフレコですが、ここにちゃっかり書いておきます(^。^)

 

そこで今度は私が身内コネをフル稼働して、歌ってくれる子をさがしました。

みつけました。

 

いやあ、かわいい…。

胸キュンです!

たくさん練習して、いっしょうけんめい歌ってくれた りおちゃん、ありがとう。

 

とっても楽しいクレイアニメーションですよ。

ハロウィンに、どうぞ!

 

https://www.rironsha.com/プリンちゃんのダンスのへや

 

 

 

 

 

おとなに……なってみる?

 

えー。

私は、だれがどうみたって「おとな」のはずです。

 

でも「おとなになりきれない」ので、しばしば「おとなげない」ふるまいをして、「いいおとなのくせに」と笑われ、「おとな買い」でいろんなことを誤魔化したりしています…。

 

もう還暦すぎたのに、どうしましょ。

あ、還暦をすぎたら、子どもにもどっていいんだっけ?

 

しかし、子どもという存在は、成長を前提としております。

日々刻々、成長しているのです。

それはもう眩しいほどに、成長あるのみ。

その成長のさきにあるゴールが「おとな」のはずなんだけどな…。ふうむ。

 

 

ということで。

 

 

「おとな体験授業」という絵童話を作っています。

 

きょうは特別授業。

理科室の実験机にすわっているのは、 あすか、りゅうじ、さき、ゆり、こうたの五人。

 

 

細長い紙が配られ、「どんなおとなになりたいか」を書くようにと言われます。

あすかはマンガ家、りゅうじはラーメン屋、さきは美容師、ゆりは獣医になりたいと書き、その下に、それぞれの名前を記しました。まるで七夕の短冊みたい。

 

けれど、こうたは迷っています。

ちょっと理屈っぽい彼は、「おとな体験授業って、なにさ? 職業体験とちがうの?」と、ふくれてみたり。

なにか屈託がありそうですね。

 

先生はアラジンの物語に出てくるような骨董品のランプに火をつけ、ビーカーの中の金色の液体が沸騰したら、各自、短冊を投入するようにと指示します。

すると、ぽこぽこ、もくもく、もわもわ…と、教室中がふしぎな靄に包まれました…。

 

もわもわが晴れると、子どもたちは異次元にワープして、希望どおりの「おとな」として活躍するのです。

 

…の、はずでしたが、あれれ?

ビーカーの中で短冊がごちゃまぜになっちゃったから、希望とはちがう「おとな」になっていますよ!

さあ、みんな どうする?

 

…という、へんてこなお話です。

 

 

美容師志望の子がいるので、いきつけの美容院のK氏に、ラフを読んでもらいました。

生まれ変わっても美容師になりたいと語るK氏の体験も取り入れています。

つまり、プロの監修付 (^。^)?