どんぶらこ…と到着


翻訳絵本『あかちゃんが どんぶらこ!』

原題は "Baby on Board"

 

八割がた完成しています。

本体だけが刷り上がり、製本されて、お船で どんぶらこっこと日本の港に到着しました。


わたしが翻訳を終えたのは、昨年の12月。

編集部がイギリスの原著出版社に送ったデータは、ほかの国の言葉とともに、まとめて中国で刷られて、それぞれの国へと旅だったというわけです。どんぶらこ。

 

そう、これが悪名高い、いえ、わたしのキライな、いやその、近年とみに増えてきたグローバルな製作方法「コープロ(co-production 共同製作)」です。

まあきっと、どこかのだれかにとっては、いいこともあるのでしょうね。わたしは色々心配だけども。

 

 

なにはともあれ、文は『もものき なしのき プラムのき』などの、昔話&童謡風味の語り手アラン・アールバーグ。

かわいくて達者な絵は「ブルーカンガルー」シリーズの エマ・チチェスター・クラーク。

 

あるひ浜辺で、乳母車にのった赤ちゃんが、大海原へ…。

えっ、そんなぁ〜 という展開ですが、心配ご無用!

お人形達が赤ちゃんを守り、ちゃんとお世話もいたします。

イギリス人コンビの絵本は、スパイスのきいたユーモアが素敵。

古典的な「子ども部屋」の安心感にくわえて、海洋冒険物語の潮の香りも魅力です。

 

日本語版は、ただいま装丁家の森枝雄司さんによって表紙カバーと帯のデザインが進行中。

帯って 日本独特の出版文化のようですよ。腰巻と呼ぶ人もいるとか。

表紙カバーを内側に折り返した部分は 前袖と後ろ袖。

どれも、きものの言葉ですね。

 

写真右上のPC画面に映っているように、本国イギリスでの刊行は6月7日だそうです。

コープロのいいところは、世界同時発売がちょっと楽しいってことでしょうか。

お国柄によって、けっこう遅れるところもあるみたいだけど。

 

さて、日本での出版は、いつかな〜。

 

 

 

 

ファン・ホッホ?

 

美術絵本 "Vincent Can't Sleep"。

直訳すれば『ヴィンセントは ねむれない』。

でも、早くもここで翻訳者の悩みは始まります。Vincentって、ヴィンセントでいいの?

 

ゴッホの伝記的な絵本なので、フィンセントにいたしましょう。

ゴッホはオランダ人なので、英語の読み方ではなく、オランダ式発音表記でね。

 

でもでも、じつはオランダ語の発音では、Gogh はゴッホではなく、ホッホらしいですよ。

しかも、日本では「ゴッホ」として定着してしまったけれど、ほんとは Van Gogh が苗字としての一塊です。

 

てことは、オランダ流にこだわれば、ファンホッホさん……。むむう。だれのことじゃ?

 

英語圏の観光客がヴァンゴーというのを、オランダ人は今でもからかってるみたいだけど、世界的VIPとなった彼を ヴィンセント・ヴァンゴーと呼ぶ人口のほうが圧倒的に多いはず。

そもそもゴーギャンなんて、ずっとフランス語の発音で ヴァンサンと呼んでいたようだし。

ひょっとして発音なんて、どうでもいいのかなあ〜?

いや、ここはやはり研究者の諸先生にならって、名はフィンセント、姓はファン・ゴッホ、通称ゴッホ とさせていただきましょう。

 

オランダの片田舎に、教育熱心な知識階級の長男として生まれた彼自身はオランダ語のほかに英語、フランス語、ドイツ語もできました。

フランスで画商の店員として、イギリスで教師として働いたこともあったのです。

(てことは、あっちでヴァンサン、こっちでヴィンセントと呼ばれていたにちがいない…)

 

 

知識欲が旺盛で、記憶力抜群、読書家で、自然を心から愛していたフィンセント。

肉親への情愛も深く、理想も高い人でした。

だけれど、とてもとても生きにくかった。

じぶんと、まわりの人を、つねに傷つけてしまった。

そして人生のさいごの数年間に、画家として火花をちらすほど燃えて尽きた。

 

それはどういうことだったのか、なぜなのか。

多くの書物が残されています。

 

この絵本は、そこに加わるささやかな一冊ですが、生きる喜びを痛いほどうけとめた鋭敏な感受性、学校になじめない苦しさなど、子ども時代に力点をおいて描いています。

 

資料を読みながら、フィンセント少年のきもちに思いをはせる時間がつづきます。

 

 

 

 

 

 

大江戸プリン

 

見てきちゃいました、都営大江戸線にのってるプリンちゃん。

 

新宿で打ち合わせがあったので、ちょっと早めにでて、駅のホームで電車を4本見送ると、おお、5本目に…!

運動会の校庭で、お豆をころがしたような子ども集団のなかに、我が子をみつけた気分。

 

周囲の視線を気にしつつ、写真まで撮っちゃう…。(ああ、ハズカシ)

 

そのままプリンちゃんと一緒に光が丘まで行くわけにはいかないので、中野坂上にて降車して新宿にもどりました。

ところが、自動改札がバタンと閉じてしまって通ることができません。

あらら、窓口でなんて言い訳しよう…。

正直にすべてを話すのもためらわれたので、

 

 わたし「忘れ物をしたので、家に帰ります」(ウソ)

 駅員氏「お乗りになった駅までの往復料金はいただきます。降りたのは、どこでしたか?」

 わたし「中野坂上です」(ホント)

 駅員氏「………」(それにしちゃ大江戸線内にいた時間が長すぎるよなと、しばし黙考)

 

でも、にっこり笑ってゆるしてくれました。340円。

なぜか、かるく罪悪感。

 

ちょっと疲れた親馬鹿の1日。

でも、たかおゆうこさんに写真を送ったら、喜んでくれたのでヨシとしよう…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおかみの おなかのなかって?

 

ぴっかぴっかの四月。

ぴかぴかでハイテクな新ビルにお引っ越しをした 徳間書店編集部で打ち合わせ。

革の手帳をひらいているのは、小島範子編集長(…の手)。

 

左下が原書絵本PDFのプリントアウト。原書はまだ届いていません。

表紙の動物たちのギョロ目にピンときた方もいるでしょうか。

そう、ジョン・クラッセンの絵です。

文を書いたのは 相棒のマック・バーネット。

 

わたしは二人のコンビによる絵本を二冊翻訳していますが、文と絵の呼吸がいつも絶妙。

掛け合い漫才みたい。

自分たちもクツクツ笑いながら世界中をくすぐって楽しんでいる いたずらっ子二人組ってかんじです。

 

原題は "THE WOLF THE DUCK & THE MOUSE"。

直訳すると『おおかみ あひる そして ねずみ』。

 

最初のページで、主人公のねずみが おおかみに出会います。

そしてなんと2ページめで、ぱくっと食べられてしまいます…。

そのあとは、おおかみの おなかの中で起きたことの物語。つまり、あひるも、おおかみのおなかの中にいたということ。

だから日本語版のタイトルは『おおかみの おなかの なかで』にしましょうよ〜と、わたしは小島さんに訴えております。

音としても、「お」と「か」と「なか」の重なりが楽しいかと。

 

 

打ち合わせでは、絵に貼り込んだ文章を、声にだしてゆっくりと読んでいきます。

かわりばんこに、何度でも。

ちょっとでも気になったことを ざっくばらんに ざくざく出しあうことが、とても大切。

些細なひっかかりから、大きな問題が炙りだされたり、名案がうかんだりするものです。

すると某所で、小島さんが呟きました。

 

「おおかみは、おなかがいたくなった、ってあるけど、正しくは、吐き気を感じたわけですよね。だって、ねずみと あひるが会ったのは、おおかみの胃でしょ、腸ではなく」

「えっ!?  この種の世界では、口の中は、ぜーんぶ おなかじゃないの?」

「えっ!? …まあねえ…そうねえ。赤ずきんちゃんの場合、おおかみの毛皮を切り裂くとすぐにおばあちゃんが出てきますもんね」

「そうよー。ピノキオなんて、くじらのおなかのなかで くじらの肋骨にランプをかけてなかったっけ?」

「……(目が泳ぐ)……」

 

今回の翻訳に、胃と腸の区別が反映されることはなさそうですが、すこぶる大雑把な内臓観を幼い読者たちに刷り込んでしまうことに若干のためらいと罪悪感をおぼえた私です…。

ま、神話的スケールってことで。(^_^;)

 

 

なにはともあれ。

古典的なような、シュールなような、とぼけた味わいがおかしくて、クヒヒヒヒと笑ってしまう絵本です。

笑えるって、いいなあ…。

 

 

 

 

 

 

 

プリンアラモード会議

 

プリンアラモードです。

プリンが埋もれちゃいましたけど。

まんなかに鎮座しているのは、卵と牛乳、きび砂糖とバニラだけの 素朴な焼きプリン。

われらの主人公、プリンちゃんのように。

 

3か月ぶりの おいしいプリン会議です。

 

たかおゆうこさんが作ってきたダミーを2時間みっちり検討したあとで、おやつタイム。

Y編集者と三人、それぞれ、じぶんのプリンアラモードを作成します。

 

じつは、三人とも、甘い物がそんなに得意ではありませぬ。

お砂糖ひかえめ、果物の酸味たっぷり、お茶は無糖のルイボスティーかブラック珈琲。傍らには塩煎餅を控えさせておく…というのが定番。

「あ〜おいしかった〜、そんなに甘くなくて〜」などと言いながら、おせんべポリポリして、甘いおかしの世界の構築を続けるわけでございます。

 

シリーズ五冊めとなる、プリンちゃん。

晩秋の恒例行事となったお菓子の祭典(違)の夜、プリンちゃんがお友達とでかけます。

プリンちゃんのお友達がでてくるのは、はじめてですね。

 

ちょっとした目線や、しぐさ、せりふから、プリンちゃんの性格がみえてきます。

ことばの少ない絵本なので、わたしの文と、たかおさんの絵の足し算と引き算がとても大切。うーむーと唸りながら、いきいきとしたプリンちゃんが表れてくることをめざします。

 

 

ところで。

写真の左上にみえているのは、地下鉄大江戸線の優先席の窓に貼られるポスター(シール?)です。4月から1年間ですって!

でも、このシールが貼られる電車は1本だけなので、強運の持ち主しか遭遇できないレア物のようです。

 

大江戸線のホームで、スマホを片手に優先席をのぞいては電車を見送る不審な人物がいたら、それはきっと、たかおさんか私でしょう…。

 

 

 

 

 

 

インキも翻訳 紙も翻訳

 

同じに見える三枚の絵。

じつは微妙にちがいます。

 

「ちっちゃい おおきい おんなのこ (LITTLE BIG GIRL)」は色出しで苦労しています。

(私ではなく、編集者とデザイナーと印刷所の方々が)。

 

この絵本。絵はかわいいけど、シャープな黒い線が印象的。

そして色を、あえてオレンジと青緑と黄色にしぼったストイックさがかっこいい!

 

…と思っていたら、ちっともストイックじゃなかったんですよ。

使っているインキが、けっこう贅沢なものだと判明しました。

むむう、やはり作者のクレアは、ディズニー帝国の血脈をつぐイラストレーターでありました。サラブレッドって目立たないところにお金をかけるのね…。

 

しかも、原書に使われている青白い紙が、日本では手に入りません。

いちばん青白いとされる紙でも、ほんのり黄色みを帯びているので、ますます色の出がちがってしまいます。

 

そう。

日本語版の紙は、日本の紙。

インキも日本のインキ。

素材の置き換えという意味では、英語と日本語のようなもの。

紙やインキも、日本仕様に「翻訳」するわけです。

 

なるべく原書に忠実にと、限られた予算のなかで、あれこれ隠し技を駆使して努力します。

(私ではなく、編集者とデザイナーと印刷所の方々が)。

 

するとそのうち、「おお、原書と違うけど、原書よりいい!」という域に達することも多く、日本の印刷技術はレベルが高いと感心します。

きょうも、ほっとしたところです。

 

もしかしたら、日本人には、このほうが響くという色合いが微妙にちがうのかもしれませんが、原著者に感激されることだってあります。

 

ん、なんかヘン?

だけど、絵本の色の「正解」って、なんでしょう。

印刷物は、基本的にシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色のインキで刷ります。

だから、どっちみち、原画の細かいニュアンスを100%再現することは不可能。

 

それどころか、高名かつ優秀な絵本作家には、印刷で出にくい色を、原画の段階でわざと派手に塗る方もいます。

原画をみると色のバランスが悪いのに、印刷されたものは、ぴたっと決まっているというわけ。まさに職人技…(私には到底むり)。

最近は、じぶんの絵の色をパソコンで操作してからデータで印刷所にわたす画家も多いです。

 

やっぱり絵本にとっては、読者の手にわたる印刷物がすべてということですよね。

 

すこしでも良い「正解」にむけて、きょうも努力がつづきます。

(私ではなく、石原編集者と水崎デザイナーと印刷所の方々の…)

 

がんばって〜ヽ(^0^)ノ

「いっしょにおいでよ」の初校

 

テロやヘイトスピーチのニュースは、日常的に流れています。

それをテレビで見て、心がかたまってしまった女の子を主人公にした絵本「いっしょにおいでよ」。

初校がでました。

 

印刷所で刷られた校正紙を切って折りたたんで本のかたちにして、文字内容はもちろん、色の出かたや、装丁について確認をします。

ここまでくると、本の完成形がはっきり見えてきます。

 

この写真では魅力が伝わりませんが、見返し紙の鈍い紫色がかっこいいんですよ〜。

混沌とした現代を扱った絵本にふさわしく、シャープだけれど、じんわりたちのぼる銀色の光が感じられるようなパールインキ。

そこに、ごく薄い藤色の小さな文字で刻まれた奥付。しびれます。

奥付なんて、ふつう読まないけど、ついまじまじ見つめちゃう。(←中嶋香織のデザイン力)

 

それから、帯。

本を買った人は、ぺろりとはがして捨てちゃうんでしょうが、作り手としては、この帯にかなり心血をそそいでおります。

(ま、いいんですよ。手に取ってお買い求めいただければ任務完了ですからね…涙目)

 

帯の言葉は、ほんわかした絵やタイトルとのバランスをみながら、強めで攻めました。

「テロや ヘイトスピーチに負けないために できることって なんだろう?」

 

幼い子どものために、こんな絵本を作らなければならないことに、悲しみと、つよい憤りを感じています。

そしてまた、とてつもなく複雑な国際的混乱に、この絵本が示すささやかなことが、はたして意味をもつのだろうかという虚しさも。

 

けれど、本の献辞には こうあります。

 

  友情と 勇気に

  そして  わたしたちは ちっぽけだけれど

  無力ではない ということに

 

幼い子どもむけの絵本だからこそ、できることはあるのかもしれません。

命の根っこに近い人たちに、かぎりなくシンプルで、たいせつなことを伝えたいと思います。

生きる喜びとともに。

 

 

この本についての前の記事は、こらちです。↓

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=7

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=19

 

28年目のやり直し

 

 

「ふしぎをのせたアリエル号」の原書"Amy's Eyes"がアメリカで電子書籍(+紙版も少し)として復刊されることになった件のつづきです。

 

私の挿絵が掲載されるべく進行中ですが、作業がはじまってみると、いろいろありまして…。

 

なんと、作者のケネディさんから28年ぶりにダメ出しがでました。

「子どもの家で、エイミイとキャプテンがすわったのは、ソファです。ベンチではありません」

「…はい。すみません。わたしの勘違いでした。ずっと気にしていました。描き直させてください」

…ということで、ソファだけを描いて、むかしのエイミイとキャプテンの絵にはめこむ。

ありがとう、フォトショップ。

 

「それから、オニババがアリエル号の船内で調理する絵は裸火に見えます。木造帆船にとって火災は致命的です。小型の鉄製ストウブにしてください」

「…はい。ごもっともです」

ありがとう、フォトショップ。

 

上記二点については、日本の読者のみなさま、ほんとうにごめんなさい。

ひとえに、わたしの過ちであります。

 

…と、しゅんとしている私に、ケネディさんは、しだいに調子をあげていく。

 

「できればほら、ニガウリ先生がキャプテンの手紙を焼いちゃうとこね、ブリキのくずかごの絵も、描き足してくれないかなあ」

「…え、まあ、いいですけど…」(どうせフォトショだしぃ)

 

…すると間髪入れずにまた、ケネディさんから追撃の長文メールが届く。

 

「ついでに、あの絵も描き足してくれる? ほら、ヒル先生がブリキのくずかごに水をかけてるところ。エイミイが図書室で背伸びをして地図帳をとってるとこもいいよね。パイプの絵はもっと上手に描けるでしょ〜。宝の地図が入った瓶の色は、もっと薄くしてね。キャプテンがステンドグラスをぶち破って脱出するシーンは、やっぱアクションだからほしいよね! それから酒場で黒ずくめの女と対峙するキャプテンの絵は必須ね…(以下つづく。前半だけで軽く20点を超える」

 

あ、あの、そ、それはいくらなんでも…。

ケネディさんの背後では、編集のピーター氏が「無理。ぜったい無理。〆切は来週ですから」とあわてている気配。

 

 

ということで、妥協点としてほんのちょっぴりだけ、絵を描き足している最中です。

28年前のじぶんの絵をまねするのって、かなりツライ。

ちっとも上達していないことがよくわかるから。とほほ。

 

でもケネディさんと「そういえば前も、酒場の乱闘シーンを描いてほしいっていいましたよね。わたし、よっぱらいのケンカには興味ないんで描きませ〜ん」というようなやりとりをしていると、28年分の時差がみるみる消えていきます。

アリエル号の時間は、ずっと変わらずに本の中にあるというのは、ほんとうみたい。

 

そうはいっても、リチャード・ケネディさん86歳。

わたしも老眼で、細い線がみえない。

本の外では、たしかに時間が流れました。

 

(ま、ケネディさんの、海賊船長キンハナみたいな得体のしれなさは健在のようですけれど)

 

 

 

 

 

ラルフ、あらためバロン

 

戌年絵本の 「ずっと」。

いよいよ入稿です。

 

写真は、見返しの紙をどれにしようかと選んでいる装丁家の水崎真奈美さん(…の手。顔の撮影は拒否されました)

場所は、水崎さんのオフィス。

南青山のデザイン事務所というのは、こうであってほしい♡と夢にえがくような素敵なところでした。

といってもゴージャス路線ではなく、こじんまりとセンスのよい手作り方向。

廃材利用と思われる古びた木の床や、白い陶器のセロテープカッター、トイレのタイル、果ては便座にまではしゃいだ私は写真をとりたくてたまりませんでしたが、かろうじて自制しました。はい。

 

ということで、素材感のある紙選びが魅力の水崎さん。

この本の紙についても

「ほんとは○○でいきたいんですけど」

「やはり値段がちょっと」

「う〜ん、じゃあ、□□でいきますか」

などと、浜本律子編集者と、限りある予算のなかでの攻防戦を繰り広げていました。

 

本の紙に注目する読者は多くはないでしょう。

それでも、ページをめくる指は感じているはずだし、紙の微妙な凹凸や光の反射ぐあいは、絵や文字の要素として読む者の無意識に働きかけます。

すべてが、無言のうちに絵本の時間を支えているのです。

 

本は、物体。

そして身近な美術工芸品だと実感する作業のひとつです。

 

ところで、しばらく前の記事で主人公の犬の名前をラルフに改名したとお伝えしましたが、諸事情により、バロンとあらためさせていただきます。すみません。

でも、バロンにしたら、また一段とよくなりましたよ。

バロンは男爵という意味ですが、たいせつな少女エリを寡黙に温かく守っている忠実さといい、ぴったり。欧米でも大型犬の名前によく使われているようです。

この子、もう今や、バロン以外の何者にもみえません。

 

そうですよね、水崎さん? と同意を求めたところ、水崎さんは、一瞬目をぱちくりしてから、どうにか頷いてくれました。

「…う、うん。毛がふさふさで長いしね」

 

アジア歴訪体験が豊富な水崎さんの頭にうかんでいたのは、インドネシアの聖獣バロンだったらしい。

↓(これです。バリ島へいくと、たいていバロンダンスで会えます)

 

ああ、翻訳ってむずかしい…。

 

 

アリエル号の加工貿易?

 

「ふしぎをのせたアリエル号」は私の最初の翻訳書です。

低学年から読める本でありながら、660ページ。

恍惚とするほど長い物語に私は夢中になりました。

 

ひとことでいえば、海洋冒険ファンタジー。

といっても時代的に木造帆船で、海賊と魔女もでてきます。

人形と人間の変身譚でもあります。

しかも重要な要素は、マザーグースと聖書。

…うーん、やっぱり、ひとことじゃ言えないわぁ。

古典的で、かわいくてユーモラスなのに、人生の苦みや涙の味がスパイシーな深みを添える一冊です。

 

最初の翻訳書がこれだったことには事情があるのですが、とりあえずその前に戯曲の翻訳をしていたことが幸いして、会話文の翻訳は、ほめてもらえました。

地の文には、まっ赤に添削が入りました…。

だって、戯曲って会話文しかないんだもん。

 

どうにかこうにか翻訳がしあがったころ、問題が起きました。

原書には挿絵がほとんどなく、原著者のリチャード・ケネディさんから「日本語版には挿絵を入れてね」とリクエストがあったので、期待の新人画家にお願いしてあったのですが、その方が体調不良で、まさかの降板…。

うろたえる私に、同じくうろたえていたはずの担当編集者米田佳代子がいいました。

 

「この本は設定が複雑なので、かわりの画家をみつけるのは、とても難しい。

現時点で、この本の資料がすべて集まっているのは、あなたの部屋。

この本のことを一番理解しているのは、あなた。

だから描くのよ、あなたが!」

 

米田佳代子をしっている方は驚かないでしょうが、彼女はこの種の突飛で強引な思いつきによって、多くの人々の人生を変えました (…たいていの場合、すばらしい方向に! )。

 

それからはもう、記憶がとんでいるほど大変でした。なにせ刊行が迫っていたので。

でも、描きましたよ〜、小さなカットも含めて百枚以上も。泣。

だって、リチャード・ケネディさんが、小さな絵をなるべくいっぱい描いてほしいって言うんですもの。

まだEメールの無い時代。

いきなり国際電話をかけてきて、ごきげんにいろいろ喋っていたケネディさん…。ふう。

 

 

それから三十年近い歳月が過ぎました。

ただいま「ふしぎをのせたアリエル号」の原書  'Amy’s Eyes' は、電子書籍として復刊されるべく本国アメリカでの作業が進められています。

 

その電子書籍を、ケネディさんは私のイラストを全点掲載するものとして契約をしてくれました。

今年で86歳になるケネディさんとは、メールでやりとりをしています。

 

そのむかし、日本語版のあとがきに彼が寄せてくれたメッセージは…

 

 「一生の親友というものは、なかなかみつかりませんが、本なら別です。

  エイミイやキャプテンのともだちは、みんな、わたしの友だちです」

 

そう、そのとおり。